脇役・端役からの脱却
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1949年(昭和24年)以来フリーランスとなる、と『日本映画大鑑 映画人篇』(1955年3月発行)の佐伯の項には記載されている。同書によれば、当時の趣味はゴルフ、ボクシングであったという。『日本映画俳優全集・男優編』(1979年10月23日発行)の佐伯の項によれば、1951年(昭和26年)には東宝、1956年(昭和31年)には新東宝と専属契約をした旨の記述があるが、東宝が発行する資料によれば、1956年5月には三原 秀夫の名で東宝と契約している。三原名義で多数の作品にほとんど端役で出演している。1959年(昭和34年)4月5日に公開された『まり子自叙伝 花咲く星座』(監督松林宗恵)が三原名義の最後の出演作であり、同作を期に東宝を去る。 佐伯は同年4月13日に放送されたラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)のテレビドラマ『東京0時刻 制服に手を出すな』に、主演として迎えられた。佐伯が新東宝の作品に初めて出演したのは、記録の上では、同年7月4日に公開された三原葉子の主演作『海女の化物屋敷』(監督曲谷守平)である。翌1960年(昭和35年)には、同年4月3日に放映が開始されたニッサンプロダクション(のちのNMCプロダクション)製作の連続テレビ映画『怪獣マリンコング』を皮切りに、多くのテレビ映画、テレビドラマに出演を開始する。 1964年(昭和39年)6月に公開された『女の十戒』(監督片岡均)に出演、以降、『日本拷問刑罰史』(監督小森白、1964年)、『赤い肌の門』(監督片岡均、1965年)等の独立系成人映画に出演を開始、『続・妾』(監督大橋秀夫、1964年)では主演した。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩とともに佐伯の名を挙げている。確かに佐伯は端役・脇役の多くなった一般映画から去り、テレビ映画や成人映画に活路を見出したといえる。記録に残る独立系成人映画の最後の出演作は、1967年(昭和42年)2月21日に公開された『情欲の黒水仙』(監督若松孝二)であった。
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