脇役・端役からの脱却とは? わかりやすく解説

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脇役・端役からの脱却

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:15 UTC 版)

佐伯秀男」の記事における「脇役・端役からの脱却」の解説

1949年昭和24年以来フリーランスとなる、と『日本映画大鑑 映画人篇』(1955年3月発行)の佐伯の項には記載されている。同書によれば当時趣味ゴルフボクシングであったという。『日本映画俳優全集男優編』(1979年10月23日発行)の佐伯の項によれば1951年昭和26年)には東宝1956年昭和31年)には新東宝専属契約をした旨の記述があるが、東宝発行する資料によれば1956年5月には三原 秀夫の名で東宝契約している。三原名義多数作品にほとんど端役出演している。1959年昭和34年4月5日公開された『まり子自叙伝 花咲星座』(監督松林宗恵)が三原名義最後の出演作であり、同作期に東宝を去る。 佐伯同年4月13日放送されラジオ東京テレビ現在のTBSテレビ)のテレビドラマ東京0時制服手を出すな』に、主演として迎えられた。佐伯新東宝作品初め出演したのは、記録の上では、同年7月4日公開され三原葉子主演作海女化物屋敷』(監督曲谷守平)である。翌1960年昭和35年)には、同年4月3日放映開始されたニッサンプロダクション(のちのNMCプロダクション)製作の連続テレビ映画怪獣マリンコング』を皮切りに多くテレビ映画テレビドラマ出演開始する1964年昭和39年6月公開された『女の十戒』(監督片岡均)に出演以降、『日本拷問刑罰史』(監督小森白1964年)、『赤い肌の門』(監督片岡均1965年)等の独立系成人映画出演開始、『続・妾』(監督大橋秀夫1964年)では主演した。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期成人映画界のおもな出演者として、扇町京子桂子城山路子光岡早苗同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ明子森美沙湯川美沙光岡早苗路加奈子有川二郎里見孝二、川部修詩とともに佐伯の名を挙げている。確かに佐伯端役脇役多くなった一般映画から去りテレビ映画成人映画活路見出したといえる記録に残る独立系成人映画最後の出演作は、1967年昭和42年2月21日公開された『情欲黒水仙』(監督若松孝二であった

※この「脇役・端役からの脱却」の解説は、「佐伯秀男」の解説の一部です。
「脇役・端役からの脱却」を含む「佐伯秀男」の記事については、「佐伯秀男」の概要を参照ください。

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