編集工学者としてとは? わかりやすく解説

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編集工学者として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:12 UTC 版)

松岡正剛」の記事における「編集工学者として」の解説

1982年工作舎退社し松岡正剛事務所設立して独自の活動開始する古代から現代まで続く「情報そのもの歩み年表化した大作情報歴史』を編纂するために各ジャンル知識人集め、この本の監修務める。この仕事発展し1987年株式会社編集工学研究所設立することになる。(現在、編集工学研究所丸善 の子会社となっている) 1984年からは、NTT主催する情報文化研究フォーラム」の座長務める。ジャンル超えた各界研究者議論交わしながら、情報文化に関する考察深めていく。また、同時期にNTT広報戦略アドバイザーの役も担いグループCF制作監修を行う。情報生命情報歴史という視点から映像化した「進化篇」「擬態篇」「図書館篇」といったCFシリーズ生み出し話題呼んだ。同CFシリーズのうち、「図書館篇」はカンヌ国際広告祭ブロンズ賞を獲得したこの頃からテレビ番組構成など務めるようになり、1984年からはじまった極めるシリーズテレビ東京系列)を監修した。また『ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる』(テレビ朝日系列)の企画構成、『ときの探訪』(中部日本放送)の監修担当。『世界一受けたい授業』(日本テレビ)には2005年から構成協力として参加している。 1990年放送はじまった日本人のこころ』(NHK)では、五木寛之田中優子とともにレギュラー出演し、日本各地歩き回りながら、日本文化潜む魅力とその可能性について討論を交した。また、この時期、リチャード・ワーマン著『情報選択時代』『理解秘密』をたて続け監訳当時情報建築家として世界的に注目されていたワーマンを日本ではじめて紹介する1995年愛知県岡崎市美術館計画プロデューサーとして関わる目に見えないもの(心の風景)を感じるという意味から、館名を「マインドスケープ・ミュージアム」と名づけた。 1997年からは、岐阜県織部賞開始総合プロデューサー担当しジャンル問わず内外様々な人物顕彰する。また、帝塚山学院大学招聘され教授としてゼミ担当した。このゼミ内容は1冊の本に編集され2006年に『17歳のための世界日本見方』として春秋社から出版され、4部を売り上げた

※この「編集工学者として」の解説は、「松岡正剛」の解説の一部です。
「編集工学者として」を含む「松岡正剛」の記事については、「松岡正剛」の概要を参照ください。

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