総裁候補へ浮上とは? わかりやすく解説

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総裁候補へ浮上

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:57 UTC 版)

橋本龍太郎」の記事における「総裁候補へ浮上」の解説

1989年宇野内閣成立時には橋本龍太郎幹事長代理としての実績手腕評価され自民党幹事長に昇格した宇野政権においてはリクルート事件消費税影響加えて宇野宗佑本人女性スキャンダル噴出した一方で不人気宇野首相に代わって自民党幹事長橋本龍太郎自民党先頭立って日本各地積極的に遊説し橋本全国的に国民的知名度を得るに至った政権与党である自民党かつてないほどの厳し逆風さらされ1989年7月参院選では、自民党議席大幅に減らし惨敗したその際に、橋本の「ちくしょうやっぱりこれだけ(差が)開いたか」とチェリー喫煙しながら悔しがるシーンテレビで放映され、その眉目秀麗ぶりとあわせて話題となった宇野辞任すると、橋本後継候補浮上し本命視される。しかし、女性問題理由自派閥の支持伸び悩み盟友安倍晋太郎への配慮から世代交代嫌った竹下登橋本突出嫌った金丸信小沢一郎らに動き封じられ結局宇野宗佑後継には海部俊樹就任した当時竹下派最有力後継会長候補見られていた橋本龍太郎小沢一郎は、この頃からたびたび対立繰り返して、「一龍戦争」と呼ばれた1989年8月、「第1次海部内閣」では、橋本龍太郎大蔵大臣就任し第2次海部内閣でも留任するが、1991年10月証券不祥事などで大蔵大臣の職を引責辞任した。 1992年10月竹下派経世会会長金丸信東京佐川急便事件議員辞職追い込まれ竹下派後継会長の座をめぐって小沢一郎派と反小沢一郎派が対立する小沢派が推す羽田孜と、反小沢派が推す小渕恵三との争いの末、小渕恵三派閥領袖決まり経世会小渕派となった小沢羽田派経世会離脱して改革フォーラム21」(羽田派)を立ち上げた経世会副会長就任していた橋本龍太郎は、そのまま小渕派副会長として小渕行動を共にした。 この間1991年12月に弟の橋本大二郎高知県知事選挙立候補し当選した。この時の知事選挙では、橋本龍太郎自民党推薦候補対決し高知県街頭演説では、弟の大二郎の横に立って自慢の弟です!」と弟・大二朗への支持聴衆有権者呼び掛けた 1993年総選挙時には当時自民党政治家高い人気誇った橋本龍太郎河野洋平石原慎太郎は「三本の矢」と呼ばれ全国遊説奮闘した。しかし、総選挙の後には細川内閣成立し自民党野党転落した宮澤喜一首相後継総裁後藤田正晴並んで本命視されたが、自民党分裂原因である竹下派内部分裂責任があるとして辞退し河野洋平総裁のもとで政務調査会長に就任した。この野党時代に、小沢一郎の「日本改造計画」に触発されて、橋本は「政権奪還論」を著している。 自民党与党復帰した際、自社さ連立政権村山内閣では、橋本通商産業大臣就任した大臣在任中橋本日米自動車交渉をまとめ、交渉相手米国からも「タフ・ネゴシエイター」として高く評価されている。

※この「総裁候補へ浮上」の解説は、「橋本龍太郎」の解説の一部です。
「総裁候補へ浮上」を含む「橋本龍太郎」の記事については、「橋本龍太郎」の概要を参照ください。

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