絹本著色達磨図
主名称: | 絹本著色達磨図 |
指定番号: | 1954 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1997.06.30(平成9.06.30) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 無象静照の賛がある |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 岩窟内で座禅する達磨を表す。達磨は正面やや左側を見せて描かれ、両目を見開き髭髯を生やし、金の耳環をつけている。目もさめるような明るい朱衣を通肩に纏い、頭頂とさらに両手両足をも覆っている。朱衣には金泥で円龍文を表している。面相部に本紙の欠損がある。 達磨の四周には突兀たる岩肌が墨皴で描かれ、達磨の周囲は墨を刷いて暗くし、岩窟中に居ることを示している。上方には右方から枝を伸ばした松が車輪状の葉をつけ、岩肌には雑草が生えている。 達磨の肉身は肌色に塗られ、目頭や唇に朱が着色されるなど本格的な技術により、専門的な絵仏師による制作とみられるが、皴法による岩の表現は立体感を欠き空間を描き得ていないなど、中国水墨画技法にいまだ習熟していないことがわかる。 岩窟の中、達磨の上方の余白に無象静照【むぞうじようしよう】により五言絶句が書かれている。無象は北条時頼の縁者で東福寺の円爾【えんに】弁円に師事し、建長四年(一二五二)に入宋している。彼の地において石渓心月【しつけいしんげつ】・大休正念・無学祖元・虚堂智愚といった高僧たちと交わっている。とくに虚堂から「破れ虚堂」として著名な法語を得て咸淳元年(一二六五)に帰国した。帰国後は鎌倉の蘭溪道隆【らんけいどうりゆう】のもとに赴き、のち浄智寺【じようちじ】や博多・聖福寺【しようふくじ】を経て京都・仏心寺の開山となった。 『無象和尚語録』には達磨への賛が、本図の賛文も含めて八首あり、達磨図制作が盛んに行われていたことが知られる。徳治元年(一三〇六)に七三歳で示寂しており、本図はこれ以前の制作と知れる。 鎌倉時代にさかのぼる面壁達磨図としては、山梨・向嶽寺本(蘭溪道隆賛 国宝)や東京国立博物館本(一山一寧【いつさんいちねい】賛 重文)があるが、本図はより描写が説明的であり、中国絵画を忠実に学ぼうとする態度が認められ、専門絵師的な要素が強い。いずれにしても、初期禅林画の優れた遺品として貴重である。 (賛文) 黙々坐九霜 孤風更没雙 熊峯深夜月 清影落千江 無象静照拝賛 |
絹本著色達磨図
主名称: | 絹本著色達磨図 |
指定番号: | 89 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1953.11.14(昭和28.11.14) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 蘭渓道隆の賛がある |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
絵画: | 絹本著色聖徳太子及天台高僧像 絹本著色虚空蔵菩薩像 絹本著色訶梨帝母像 絹本著色達磨図 絹本著色那智滝図 絹本著色釈迦如来像 絹本著色釈迦金棺出現図 |
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