経歴・棋歴とは? わかりやすく解説

経歴・棋歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:16 UTC 版)

金井恒太」の記事における「経歴・棋歴」の解説

オーストリアウィーン生まれたが、前月発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の影響を心配した両親と共にすぐに帰国している。 1998年小学6年生時に小学生将棋名人戦出場しベスト8東日本大会ベスト4)に進出したが、テレビ出演となるベスト4には一歩届かなかった。(同年大会出場者には、高崎一生優勝)、船江恒平準優勝)、戸辺誠3位)、中村太地広瀬章人糸谷哲郎佐藤天彦らがいた。) 1999年新進棋士奨励会入会三段リーグでの8期4年間の勝率は5割程度であったが、法政大学キャリアデザイン学在学中2006年第40回奨励会三段リーグにおいて、3勝4敗からの11連勝14勝4敗(リーグ2位)の成績収めプロ入り決めた同期棋士豊島将之伊藤真吾2度目次点取りフリークラス入り)。 プロ入り1期目2007年度)の2008年1月28日から2008年3月31日まで11連勝し連勝継続中に年度をまたぎ、2008年度最初対局4月4日)が不戦敗のため11連勝連勝ストップした2008年度記録となった2007年度には13連勝をした棋士が2名おり、2008年度には豊島将之11連勝次年度継続)をあげたが、将棋大賞連勝賞の規定では、年度をまたいだ連勝記録連勝止まった年度のものとして扱うため、金井2008年度将棋大賞連勝賞を単独受賞した第58回2008年度NHK杯戦で本戦3回戦まで勝ち進むが、佐藤康光棋王)に敗れる。 3年目順位戦となる第68期(2009年度C級2組順位戦で、開幕6連勝達成するなどして昇級争い3番につけたC級2組からの昇級は3名)。第9回戦(2010年2月2日)は、勝てば昇級の一番であったが、降級点2点抱え順位戦残留風前の灯児玉孝一との千日手指し直しの末の戦い敗れ、ほかの2名とともに7勝2敗で並んだ(この児玉との戦いで将棋大賞で初の「名局特別賞」を受賞)。しかし、金井前期に7勝3敗の好成績挙げていたため、3名の中でリーグ順位が最も上であった(12位)。そのため、最終10回戦3月9日)も、勝てば昇級自力昇級)の状態で迎えた。そして、ほかの2名は勝って8勝2敗としたものの、金井山本真也勝って8勝2敗とし、順位戦昇級決めた結果としては、すでに2名(豊島将之高崎一生)が昇級決めたリーグで、金井一人最終10回戦見せ場作りその代わりに、自分の五段昇段1か月遅れになるという形になった。 第75期2016年度C級1組順位戦は1勝9敗の大不振クラス最下位となり降級点がつくも、翌第76期(2017年度)で6勝を挙げ1期降級点消去したまた、30期(2016年度竜王戦6組昇級者決定戦決勝星野良生破り5組昇級した第3期2018年度叡王戦予選六段戦勝ち抜き本戦進出本戦佐藤天彦前期叡王)、佐藤康光行方尚史破り、初のタイトル挑戦となる決勝七番勝負進出金井同じくタイトル初挑戦決勝進出者となった高見泰地との番勝負は0勝4敗のストレート負け終わりタイトル獲得はならなかった。

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