級数の発見前 —13世紀まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:35 UTC 版)
「円周率の歴史」の記事における「級数の発見前 —13世紀まで」の解説
紀元前2000年頃 [値] (2) 1936年にスーサで発見された粘土板などから、古代バビロニアでは、正六角形の周と円周を比べ、円周率の近似値として 3, 3+.mw-parser-output .sfrac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .sfrac.tion,.mw-parser-output .sfrac .tion{display:inline-block;vertical-align:-0.5em;font-size:85%;text-align:center}.mw-parser-output .sfrac .num,.mw-parser-output .sfrac .den{display:block;line-height:1em;margin:0 0.1em}.mw-parser-output .sfrac .den{border-top:1px solid}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1/7 = 22/7 = 3.142857…, 3+1/8 = 3.125 などが使われたと考えられている。 紀元前1650年頃 [学][値] 古代エジプトでは、円周と直径の比の値と、円の面積と半径の平方の比の値が等しいことは知られていた。神官アハメスが書き残したリンド・パピルスには、円積問題の古典的な解法の一つが記されており、円の直径からその 1/9 を引いた長さを一辺とする正方形の面積と、元の円の面積が等しいとしている。これは、円周率を近似的に256/81 = 3.160493827…とみなすことに相当し、それなりに精度の高い近似値であったが普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年頃にまで遡ると考えられている。 紀元前5世紀頃 [学] アナクサゴラスが、アポロンへの不敬罪で投獄されている間に、円積問題に取り組んだ。 [法] ヘラクレアのアンティフォンは、円に内接する正多角形の面積を求めることにより円周率を計算する方法を編み出した。アンティフォンは、それぞれの正多角形から正方形が作図できることから、円積問題が解決できると主張した。 [値] すぐに、同じヘラクレアのブリソン(英語版)が、外接する正多角形の面積を求めて内側と外側の両方から円の面積を評価し近似値を得た。 紀元前3世紀 [法][値] アルキメデスは、円の面積が円周率と半径の平方の積に等しいことを証明した。さらに、3の平方根の最良近似分数 265/153 および 1351/780 (265/153 < √3 < 1351/780) を利用して、円に外接および内接する正六角形、正十二角形、正二十四角形、正四十八角形、正九十六角形の辺の長さの上界および下界をそれぞれ計算することにより 3 + 10/71 < π < 3 + 1/7 を求めた。小数だと 3.14084 < π < 3.14286 である。 1世紀 [値] ローマ帝国の著名な建築家ウィトルウィウスは、25/8 を使った。素数の7よりも、2の3乗である 8 で割ったほうが建築には便利だったためである。小数だと 3.125 である。 2世紀 [値] 天文学者プトレマイオスは 377/120 を使った。小数だと約3.1417 である。 [値] 後漢の太史令だった張衡は、円に外接する正方形の周と円周を比べ、円周率を √10 とした。約3.162 になる。 3世紀 [値] 呉の王蕃は 142/45 を用いた。約3.1555 である。 263年 [値] (3) 魏の劉徽は『九章算術』の注釈の中で、ブリソンと同様の方法を用い 3.14 + 64/62500 < π < 3.14 + 169/62500 であることを示している(これは後に徽率として知られるようになった)。小数では 3.14102 4 < π < 3.14270 4 である。さらに正3072角形を用いて、3.14159 という近似値も得た。 5世紀 [値] (6) 7世紀に編纂された隋書律暦志によると、天文学者の祖沖之は、当時としては非常に正確な評価 3.14159 26 < π < 3.14159 27 を示した。ヨーロッパでこれほど正確な評価を得るには、16世紀まで待たねばならない。さらに、分数での近似値 22/7(3.142857…)と 355/113(約3.14159 29)を与えている。正確な方法は伝わっていないが、九章算術の方法を踏襲したと推測すると、上記の結果を得るには少なくとも円に内接する正24576角形の辺の長さを計算しなければならない。隋書では現代と同じ「圓周率」という語が用いられている。祖沖之の息子の祖暅(そこう)は、父とともに球の体積の計算方法を導き出したことで知られる。 500年頃 [値] インドのアリヤバータは、円に内接する正 n 角形と正 2n 角形の周の長さの間に成り立つ関係式を求め、正384角形の周の長さから √9.8684 (≒ 3.14156) と求めた。この平方根の近似値として 3927/1250 (= 3.1416) を与えた。 650年頃 [値] インドのブラーマグプタは、正12角形、正24角形、正48角形、正96角形の周の長さから、n が大きくなるにつれ正 3 × 2n 角形の周の長さは √10 に近づくとし、これを円周率とした。 1220年 [値] イタリアのレオナルド・フィボナッチ(ピサのレオナルド)が円周率を 864/275 と計算した。これは、約3.1418 である。
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