純音楽作品での仕事
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以上のような多様なジャンルでの創作活動と並行して、今井は純音楽の作曲も行なっていた。しかし、それらを旺盛に発表するのは、1990年代以降となる。「純音楽の作曲に際しては『その時々の現代音楽の流行に左右されずに創作する』という姿勢で臨んでいた」とは今井の弁である。今井の曲想、主題にはさまざまな特徴が見出されるが、通奏低音のように一貫しているのは、冒頭に記したように、自らの思想あるいは信念に基づいた、独自の音楽的美学の追求という点である。特に1990年代に入ってからは、いわゆる“シギリヤ”(フラメンコのリズム形態の一つ。古代インドの舞踊様式がヨーロッパに伝播し、フラメンコの音型に発展していったとされている)の多用が顕著となる。今井は“シギリヤ”のリズムをこよなく愛し、こだわり続けている。その魅力について、「フラメンコの歴史や民族性を強く表すリズム形態であり、また東洋と西洋の混血性に惹かれたから」と述べている。 1992年(平成4年)、59歳。『ギターとオーケストラの為の協奏的変容「シギリヤ・ヒターナ」』を作曲。 1993年(平成5年)、60歳。『横笛と箏合奏の為の「仮面舞」第2番』、『メタモルフォーゼ・フラメンコ』を作曲。 1994年(平成6年)、61歳。『ギター合奏の為の「シギリヤの変容」』、『ギター合奏の為の「長楽寺幻想」』、『箏合奏の為の青峰悠映』を作曲。 1995年(平成7年)、62歳。『打楽器群と吹奏楽の為の協奏的変容「沖縄」』、『恨(ハン)・芸能曼荼羅』を作曲。 1996年(平成8年)、63歳。『邦楽器群の為の協奏的変容「傀儡曼荼羅」』を作曲。 1997年(平成9年)、64歳。『チェンバロ〈又はピアノ〉と弦楽四重奏の為の「仮面の舞」』を作曲。 1998年(平成10年)、65歳。『日本古謡に基づく三つの協奏的変容』、『箏合奏の為の「南部・2つの詩的断章」』を作曲。 1999年(平成11年)、66歳。『邦楽合奏の為の「斜箭提陽・悠久の舞」』を作曲。 2002年(平成14年)、69歳。『オーケストラの為の「悠久の舞」』を作曲。 2003年(平成15年)、70歳。『二十絃箏とオーケストラの為の協奏的変容「シギリヤ・ヒターナ」』、『「百萬人の身世打(しんせたり)鈴(よん)」より三つの情景』、『マリンバとパーカッションとオーケストラの為の協奏的変容「沖縄」』を作曲。この年(2003年)の春、今井自身の企画・構成・演出、並びに音楽構成による回顧展コンサート『大響演・春の祭典—今井重幸音楽作品(まんじ敏幸舞台作品)回顧展』が東京文化会館大ホールで盛大に開催された。会場にはさまざまな芸術分野からの旧友・盟友・関係者が多数集まり、今井はつめかけた満員の聴衆からの万雷の拍手を浴びた。 2009年(平成21年)、76歳。『La Nouvelle Chanson de IMAI SHIGUEYUKI I』、『フルート、ファゴット、エレクトーンの為の「青峰悠映」-序奏と田園舞-』(1989年版の改訂初演)、『La Nouvelle Chanson de IMAI SHIGUEYUKI II』を作曲。 2010年(平成22年)、77歳。『室内楽の為の組曲「神々の履歴書」』(1988年版の改訂初演)、『ギター独奏、ピアノ、打楽器の為の協奏的変容「シギリヤ・ヒターナ」』(1992年版の改訂初演)を作曲。 2013年(平成25年)、80歳。『マリムバ・打楽器とピアノのための伊福部昭・讃「狂想的変容」第2番』を作曲。
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