純愛ブームとは? わかりやすく解説

純愛

(純愛ブーム から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 12:10 UTC 版)

純愛(じゅんあい)とは、邪心のない、ひたむきな[1]。純愛の定義としては、他に「その人のためなら自分の命を犠牲にしてもかまわないというような愛」「肉体関係を伴わない愛(プラトニック・ラブ)」「見返りを求めない愛(無償の愛)」などがある[2]。本項では「純愛」という語を用いた事象について記述する。


注釈

  1. ^ セカイ系の定義は同項目に記されているように多様であるが、宇野常寛の場合は「平凡な主人公が異性を所有することによってポストモダン的な不能感を埋め合わせるための全人格的な承認を得ること」を志向するような作品を意識してこの語を使用している[7]
  2. ^ 社会的秩序の存在を認めた上でそれを破壊しようと攻撃することを反社会的、そこから逃避することを非社会的とし、それに対しそもそも社会秩序の存在そのものを認識していない状態を脱社会的としている[9]。「社会領域の方法的消去」は前述のセカイ系の定義のひとつでもある。
  3. ^ 阿部真大は、この1980年代・1990年代・2000年代のラブソングの代表として、それぞれBARBEE BOYSB'zBUMP OF CHICKENの楽曲を挙げている。

出典

  1. ^ 三省堂「大辞林 第二版」[1]
  2. ^ 鈴木淳史『「電車男」は誰なのか―“ネタ化”するコミュニケーション』中央公論新社、2005年、93-97頁。ISBN 978-4120036064
  3. ^ 森直人・前田智也・福田彩乃・宇野常寛 「惑星開発会議 愛のむきだし」『PLANETS vol.6』2010年、273頁。
  4. ^ a b 純愛物語論-伊藤左千夫『野菊の墓』を中心に-」高橋与四郎 (「海-自然と文化」東海大学紀要海洋学部第3巻第3号 77-85頁 2005)
  5. ^ a b 本田透電波男三才ブックス、2005年、207頁。ISBN 978-4861990021
  6. ^ a b 宇野常寛「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』 日本放送出版協会、2009年、316頁。ISBN 978-4140093474
  7. ^ 宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』 早川書房、2008年、87頁。ISBN 978-4152089410
  8. ^ 『ゼロ年代の想像力』94-95頁。
  9. ^ 土井隆義 『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』 筑摩書房、2008年、109頁。ISBN 978-4480064165
  10. ^ 『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』104-106頁。
  11. ^ 阿部真大 『ハタチの原点―仕事、恋愛、家族のこれから』 筑摩書房、2009年、67-68頁・73頁。ISBN 978-4480863973
  12. ^ 『ハタチの原点―仕事、恋愛、家族のこれから』70-78頁。
  13. ^ 高橋直樹『エロ萌え☆テクニック~はぁはぁテキストのお作法~』 双葉社、2011年、37頁。ISBN 978-4575303025


「純愛」の続きの解説一覧

純愛ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 00:21 UTC 版)

純愛」の記事における「純愛ブーム」の解説

2000年年代前半以降小説映画テレビドラマなど様々なジャンルにおいて始まった流行であり、代表作には以下のようなものが挙げられる。 『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』『愛の流刑地』などの恋愛小説恋空』『赤い糸』などのケータイ小説韓流ブーム」の嚆矢である韓国ドラマ冬のソナタインターネット上掲示板でのやりとり元に構成され物語である『電車男いわゆるセカイ系」や「泣きゲー」と呼ばれる美少女ゲームアダルトゲーム これらの流行を受け伊藤左千夫の『野菊の墓』が「元祖セカチュー!」として分析されたこともある。 作家本田透によれば、これら純愛系作品ブームは、(恋愛関係事実上金銭的な商品として取引されるかのようになって)恋愛そのもの対す期待感が低まった現代における恋愛資本主義恋愛によって異性獲得することが至上命題とされ、そのためのコミュニケーション能力経済力容姿などの優劣のみによって個人の評価定まるような社会)の最後悪あがきなのだという。 また評論家宇野常寛によれば主人公恋愛関係超越性見出す純愛ものの物語構造は、アニメ・ライトノベルといったオタク文化におけるセカイ系作品はじめとしてさまざまな異な文化圏において同時期に出現しながらも、その特定のクラスタ内でのみ熱狂的な支持を受けるという偏った形でヒットしており、ゼロ年代における決断主義的な物語回帰(すでに絶対的な特権性を失った価値観を、それがあくまで相対的なものに過ぎないことを織り込み済み決断的に信望すること)のひとつと考えられるという。 社会学者土井隆義は、純愛ブームの渦中にある諸作品は各々世代ごとの異なメンタリティによって支えられているとし、かつての純愛ものはさまざまな周囲との軋轢などの社会的障壁克服することによって至高の愛が達成されるという構造とっているのに対しゼロ年代の純愛ブームではそういった社会的要否排斥され反社会的でも非社会的でもない社会的な構造になっているとしている。 社会学者阿部真大は、主にJ-POPの歌詞注目しながら、純愛ブーム自体1990年代初頭始まって以後継続しているとして、1980年代1990年代・2000年代それぞれにおいて若者文化における純愛捉えられ方変化していると論じている。それによれば1980年代頃までは「消費」や「軽さ」といった価値観重視されて「純愛」は未熟さ象徴として大人にとっての回顧対象として)歌われていたが、1990年代に入るとそれが陳腐化して純愛スタイリッシュに歌われるようになり、さらに2000年代に入ると純愛手段から目的へと転化しベタ求められるようになっていたのだという。

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