約40年越しの延伸計画とは? わかりやすく解説

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約40年越しの延伸計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 23:35 UTC 版)

阪神なんば線」の記事における「約40年越しの延伸計画」の解説

阪神西大阪線は、1964年昭和39年5月21日千鳥橋駅 - 西九条駅間が開通し1967年昭和42年8月から西九条駅 - 近鉄難波駅間も用地買収取り掛かったが、西大阪線延伸によって町が分断されることや、神戸難波方面買い物客逃げることを懸念し九条商店街など激し反対運動行ったことから、工事一度中断させて事態沈静化図った。ところが、1970年代後半に入ると阪神本線需要伸び悩み二度石油ショック経て建設費高騰したことから、自社単独での延伸工事凍結態となってしまった。一方で西大阪線延長計画1971年昭和46年)と1989年平成元年)の運輸政策審議会において「目標年次までに整備すべき路線」と位置付けられ1997年平成9年)には延伸予定区域大阪ドーム開業するなど、沿線再開発進められていたことから、延伸への社会的要請高まってきていた。1992年平成4年)度からは、阪神からの要請西大阪線延長路線日本鉄道建設公団P線調査線入った1990年代に入ると、工事反対していた商店街衰退傾向打破するために延伸期待するようになり、さらに大阪市西部地域活性化策検討されるようになったことなどで、再度脚光を浴び始めたこのため施設の建設保有運営を別会社が行上下分離方式事業進められることになり、阪神近鉄をはじめ大阪府大阪市沿線再開発用地所有する大阪ガス関西電力金融機関などの出資によって、建設主体となる第三セクターの「西大阪高速鉄道」が2001年平成13年)に設立された。かつて同計画強硬に対抗していた大阪市一転して阪神電鉄協力した背景には、大阪市出資するものの経営芳しくない大阪ドームでの阪神タイガース試合数を増やしてもらおうとの思惑もあるといわれる2003年平成15年1月23日工事施行認可下り同年10月7日から着工された。 こうした経過の末に延伸区間建設開始したが、使用車両製造においても紆余曲折見られた。当初は3801形の製造時に発電ブレーキ抑速ブレーキ装備して急勾配備えたが、延伸計画凍結状態になるに及んで製造4両編成×3本の12両で終了しその後大量増備された8000系では延伸計画について特段考慮払われなかった。

※この「約40年越しの延伸計画」の解説は、「阪神なんば線」の解説の一部です。
「約40年越しの延伸計画」を含む「阪神なんば線」の記事については、「阪神なんば線」の概要を参照ください。

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