約1万年前からの火山活動と山体崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「約1万年前からの火山活動と山体崩壊」の解説
前述のように磐梯山の火山活動は約1万年前以降、マグマが直接関与しない水蒸気爆発型の噴火となっている。そして水蒸気爆発に伴い、山体崩壊が発生していたことが山麓の岩屑なだれの堆積物の分析から明らかになっている。磐梯山東側の山麓に見られる小水沢岩屑なだれ堆積物、琵琶沢岩屑なだれ堆積物、南西側の山麓で見られる滝ノ沢岩屑なだれ堆積物は、ともに堆積物中に水蒸気爆発時に噴出したと考えられる火山灰が確認される、過去1万年以内の山体崩壊による岩屑なだれの堆積物と考えられている。中でも東麓の琵琶沢岩屑なだれ堆積物は、堆積物中の木片の放射性炭素年代測定結果から、約2500年前の山体崩壊によるものであると考えられている。 小水沢、琵琶沢、滝ノ沢の岩屑なだれを引き起こした山体崩壊は、それぞれ約4万年前の磐梯山の南西部で発生した翁島岩屑なだれや、1888年の小磐梯を消滅させた磐梯山の北側で発生した山体崩壊よりも小規模であった。しかし小規模な山体崩壊を繰り返していくうちに山体全体が不安定となり、1888年の大規模な山体崩壊を引き起こすことに繋がったとの説が唱えられている。 歴史記録に残る磐梯山の噴火は806年(大同元年)の噴火である。新編会津風土記によれば恵日寺は磐梯山の怒りを鎮めるべく、807年(大同2年)に創建されたと伝えられており、また磐梯山山頂周辺では806年の噴火によると考えられる水蒸気爆発に伴う噴出物(HAL2)が確認されていて、806年の噴火は事実であると見られている。 806年の噴火後、江戸時代の天明年間にも噴火活動があったとの説がある。この説では、1787年(天明7年)に出版された「東国旅行談」という書籍に掲載されている「盤大山之炎」という磐梯山の記録、そして1888年の噴火後の調査で、地元住民から江戸後期に大量の岩屑が琵琶沢を流れ下ったとの言い伝えがあるとの記録から、天明年間に山頂部の旧火口の沼ノ平で水蒸気爆発があり、噴火に伴って琵琶沢方面へ爆風(ブラスト)が流れ下った可能性が高いと分析している。なおこの分析では1888年噴火時にも沼ノ平周辺で噴火が発生し、琵琶沢方面へ爆風が流れ下ったとして、天明年間のそれと類似の現象が約100年間隔で繰り返されたとしている。 その他1719年(享保4年)に噴火の可能性がある記録があり、1643年(寛永20年)、1655年(明暦元年)に磐梯山が鳴動したとの記録もあるが、いずれも不明確なものである。しかし沼ノ平では噴火前、中央部に常に噴気がある硫黄山と呼ばれた小丘があって、マッチの原料の硫黄を採掘していたと伝えられていて、1888年の磐梯山噴火以前の噴気活動は比較的活発であったと考えられている。
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