第7番 嬰ハ短調 作品74
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「夜想曲 (フォーレ)」の記事における「第7番 嬰ハ短調 作品74」の解説
1898年8月作曲。1899年、アメル社から出版。初演は1901年3月20日、国民音楽協会の演奏会でアルフレッド・コルトーの独奏による。アディーラ・マディソン夫人に献呈された。 夜想曲第7番は、第6番の4年後に書かれた。この両曲は、19世紀末の数年間を通じてフォーレの創作が著しい転換期にあったことを示している。その特徴は、過剰な美しさや魅力的な響きの放棄とともに、凝縮された表現の追求にある。この傾向は、この曲以前に書かれた『ペレアスとメリザンド』の「前奏曲」や「モルト・アダージョ」にもすでに現れていた。このようにしてフォーレの音楽語法は大きく変革し、やがて来るべき第三期の様式へと移り変わってゆくことになる。 第7番では、18/8拍子が採用されている。フォーレはしなやかな3拍子系のリズムを好み、3拍子系のリズムを組み合わせた6/8拍子や9/8拍子などの複合拍子も彼の作品によく見られるが、その中でもこれは異例のもの。曲は3つの主題からなり、第1主題はシンコペーションの悲痛な伴奏に乗って現れる、謹厳で簡素なコラールである。第2主題は属七の和音の第三転回形で転調し、高音部で爆発するような怒りの調子を示す。中間部は嬰ヘ長調の清澄な雰囲気で、それまでの暗い、動揺を表した部分とは対照的な性格を示す。ここでは夜想曲第2番、第4番同様、フォーレが子供のころに耳にした鐘の音の思い出が表されている。コーダでは主調「嬰ハ」の異名同音である変ニ長調をとることから、ジャンケレヴィッチは夜想曲第6番とのつながりを指摘している。 この曲と1895年に作曲された『主題と変奏』(作品73)とは、調性が同じ嬰ハ短調であることや、荘厳な曲風、男性的な重々しさなどの点で重なり、クロマティックで対位法的な書法の面でもよく似ている。また、不協和音を積極的に用いながら力強さと革新性を打ち出している点で、夜想曲第7番は1894年の舟歌第5番とも近く、そのコントラストと表現力によって、1900年に書かれることになる大作悲歌劇『プロメテ』に直結する作品と考えられる。 なお、作品が献呈されたアディーラ・マディソンは、イギリスの楽譜出版社メツラーの社主フレデリック・マディソンの夫人である。フォーレがマディソン夫妻に会ったのはおそらく1894年で、1896年1月15日付でフォーレはメツラー社と契約を結び、イギリスとその植民地及びアメリカにおける自作の独占出版権を認めた。アディーラは、フォーレの作品を作曲者が驚くほど熱愛し、フォーレの歌曲について歌詞の英訳に携わっただけでなく、1898年にはフォーレの近くに住むため、家族と離れてパリに移った。フォーレはこの曲の自筆譜をアディーラに贈っている。
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