第7番「マンモスの墓」
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「合唱のためのコンポジション」の記事における「第7番「マンモスの墓」」の解説
第8番の翌年(1972年)、ニッポン放送芸術祭参加作品として作曲。初演は田中信昭指揮、ひばり児童合唱団により行われ、第27回文化庁芸術祭ラジオ部門大賞(合唱曲の部)を受賞した。全音楽譜出版社により出版されている。 3楽章から成る無伴奏児童合唱曲(3部合唱)である。環境問題をテーマとした作品で、第4番よりもいっそう歌詞の意味内容がはっきりとしている。また、それまでの「コンポジション」シリーズでは、歌詞がさまざまな素材から構成されていたが、この作品の第3楽章では例外的に1つのみ、それも作曲者が自らつくった詩が用いられている。この作品から、作曲者によるメッセージが表に現れるようになる。彼は、第7番以降の路線について、「内なる自然を失って暴走する人間、肥大化した文明への批判や、自然と人間との調和の恢復のねがいという主題」(『日本合唱曲全集 合唱のためのコンポジション』VICG-60151)が存在するとしている。 第1楽章(Allegro non troppo): 歌詞の大部分は、柳田國男『蝸牛異名分布表』によって示された、カタツムリの方言でのさまざまな呼称を、作曲者がそのまま、もしくは変形を加えて構成したものである。近代化によって、見かけることが少なくなったこの生き物を呼び返そうとしている。2音による単純なわらべうたが、やがて5声部によるトーン・クラスター風の和音へと発展していく。最後に、作曲者の子供の頃、友達の祖母から聞いたという昔話の主人公の名前が斉唱で歌われる。 第2楽章(Andante): 2つ(名古屋地域、山梨県)の子守唄に基づく。子守唄に登場するような環境、あるいはその唄そのものが失われようとしていることをほのめかしている。コーダの手鞠唄もそうした文脈で登場する。 第3楽章「マンモスの墓」(Allegretto): 詩の語り手がマンモスの墓参りをしに、「マンモス村」にある「マンモス寺」を訪れ、そこの和尚からこの動物が滅亡に至った話を聞くという体裁をとっている。マンモスは、あまりに巨大な体躯ゆえに食べても食べても空腹に悩まされ、ついには寝る時間をも食事にあてざるを得ず、そうして「寝不足」で死んだのだ。作曲者がこの話(「科学的には何の根拠もない笑い話」と明記しているが)を「肥大化した文明」になぞらえているのは言うまでもない。詩の語り手が「悲しい」話だと感じているのとは対照的に、音楽が一貫してユーモラスであるのは(マンモスが草を食む様子を数え歌で表すなど)、もちろんアイロニーを狙ってのことである。第1楽章と同じくわらべうたのスタイルを基調としており、共通のモティーフが随所に見られる。
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