第512重戦車駆逐大隊
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「オットー・カリウス」の記事における「第512重戦車駆逐大隊」の解説
1944年12月、傷の癒えたカリウスはパーダーボルンの補充大隊へ移動。翌1945年2月に、ヤークトティーガー装備の独立重戦車駆逐大隊として新編された第512重戦車駆逐大隊へ配属され、第2中隊の中隊長となった。3月14日には第512重戦車駆逐大隊第2中隊のヤークトティーガーはジークブルクへ鉄道輸送された。末期ドイツ国内は混乱状態で、鉄道は至るところで爆撃されて止まり、移動は困難であった。以後、カリウスは駆逐戦車の中で指揮は執らず、キューベルワーゲンに乗り、点々と配備された車輌から車輌へと命令伝達を行い、あるいは作戦指揮のために連隊本部から本部へと移動した。士気は低下し、ドイツの住民にも厭戦気分が漂う中での指揮であった。カリウスの部隊はルール包囲網の中に囚われた。この時期、カリウスは故障続きのキューベルワーゲンの変わりに、アメリカ軍からジープを奪取し、任務に用立てた。カリウスは士気、練度の低下した部隊のヤークトティーガーで幾度かの戦闘を指揮したが、いずれも満足な戦果は上がらなかった。ヤークトティーガーの乗員には、攻撃の拒否、不適切な機動から横腹を曝し撃破されるなどの行動が見られた。ヤークトティーガー自体が不具合の洗い出しが終了していない車輌であり、変速機の故障や重すぎることによる行動不能が多発した。これらのことも士気低下に拍車をかけた。カリウス自身、自分たちの兵器をどうしても360度旋回させたかったと著述し、鈍重で怪物的な駆逐戦車に不満を表している。ルール包囲網の環は最終段階に達した。最後の戦闘で、カリウスはルール包囲の袋小路の要衝となる村を防御した。アメリカ軍は警戒も薄く前進してきたため、ヤークトティーガーは最初の数輌を簡単に撃破した。これに対し、カリウスは村にある病院の医師たちから猛抗議を受けた。病院は負傷兵で一杯であった。アメリカ軍とドイツ軍との交渉の結果、村は明け渡され、ヤークトティーガー部隊は後退した。その二日後、包囲は最終段階に達した。アメリカ軍が村へ入ったとの情報を受けたカリウスは、残存するヤークトティーガーの主砲を爆破し、中隊を解散させた。カリウスの戦争は終了した。 カリウスは捕虜収容所からすぐに釈放された。その後、伯父が勤めるウェストファーリアの病院を頼りそこで7年間雑役夫をした後、1952年薬剤師の資格を取得して1956年「ティーガー・アポテーケ(Tiger-Apotheke、虎薬局)」を開業した。 2015年1月24日に死去し、虎薬局のサイト上に追悼文が掲載された。その内容は下記の通りである。 Apotheker Otto Carius entschlief am 24.01.2015 nach kurzer schwerer Krankheit im Kreise seiner Liebsten in seinem Zuhause und seiner vertrauten Umgebung. Wir dankem Ihm für viele wunderbare Jahre und die Existenz der Tiger-Apotheke. Von telefonischen Beileidsbekundungen bitten wir höflichst Abstand zu nehmen. Für ihre Kondolenzen dürfen sie aber natürlich gerne den Postweg oder unsere E-Mail benutzen. 訳: 「薬剤師のオットー・カリウスは2015年1月24日、短く重い闘病生活を経て彼が愛した人々と、親しい方々に見守られつつ亡くなりました。我々は素晴らしい年月と、虎薬局の存在を彼に感謝します。電話でのお悔やみはご遠慮下さいますよう、謹んでお願い申し上げます。弔辞のご送付には、もちろん郵便やEメールを使って頂いて結構です。」
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