第2波第3波攻撃とは? わかりやすく解説

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第2波・第3波攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 20:51 UTC 版)

坊ノ岬沖海戦」の記事における「第2波・第3波攻撃」の解説

1320分から14時15分の間に第2波第3波攻撃隊が来襲した。攻撃隊はエセックスのハーモン・アター中佐指揮している。攻撃大和集中した爆弾艦上構造物損害与え対空射撃能力低下した魚雷はほとんどが左舷命中していたが、特に意図はなく、大和左旋回を繰り返していたため左舷狙いやすかったからだった。アメリカ軍第2波第3波攻撃魚雷命中29本を主張。艦は傾き転覆危機迫った1325分、通信施設破壊され大和は、随伴する初霜通信代行依頼する1333分、右舷機関室ボイラー室注水おこなわれたこの際機関科兵員命令が伝わらずにのまれたと一部書物には記載されているが、注水作業瞬時に行うことは不可能であり、退避する時間十分にあったと能副長証言している。右舷機関喪失多量浸水のため、大和速度10ノット低下した低速で進む大和雷撃機格好目標となり、航行能力削ぐために舵や船尾攻撃集中したこの間1325分には直撃弾2発、至近弾1発を受けて缶室に浸水航行不能となり落伍第一波攻撃航行不能となっていた矢矧にはさらに複数魚雷爆弾命中し14時5分に沈没した。古および第二水雷戦隊司令部移乗のため矢矧接舷試みていた磯風攻撃受けて機械室浸水、やがて航行不能となった14時10-17分、ヨークタウン(CV-10)雷撃隊による右舷への複数魚雷命中致命打となり、大和傾斜急速に大きくなった。このように14時17分まで、大和アメリカ軍航空隊386機(戦闘機180機・爆撃機75機・雷撃機131機)もしくは367機による波状攻撃受けた戦闘機全機爆弾ロケット弾装備し機銃掃射加わって大和対空火力破壊した。ただし艦隊の上空に到達して攻撃参加したのは309機。その中から大和直接攻撃したのは117機(急降下爆撃機37戦闘機15機、戦闘爆撃機5機、雷撃機60機)である。戦闘詳報では魚雷10本・爆弾5発、森下魚雷命中15本・爆弾命中数十発、アメリカ軍第58任務部隊魚雷13-14本・爆弾5発以上、アメリカ軍攻撃隊は合計魚雷30-35本・爆弾38発が命中した記録している。大和沈没避けられないことを知らされ伊藤作戦中止命じた。その一方で森下によれば伊藤は「駆逐艦冬月大和横付けせよ」「大和沖縄まで到達不能幕僚駆逐艦移乗し沖縄先行せよ」と命じ自分大和運命を共にすべく艦橋下の長官控室降りていったという。艦長有賀は退艦を拒否して艦に残った総員退去命令出て間もない14時20分、大和転覆開始14時23分、完全に転覆すると大爆発起こした。この爆発弾薬庫誘爆または、機関室水蒸気爆発よるもの考えられている。大和沈没地点は.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯3043東経12804分 / 北緯30.717度 東経128.067度 / 30.717; 128.067であった

※この「第2波・第3波攻撃」の解説は、「坊ノ岬沖海戦」の解説の一部です。
「第2波・第3波攻撃」を含む「坊ノ岬沖海戦」の記事については、「坊ノ岬沖海戦」の概要を参照ください。

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