第二次世界大戦 - 「デュケインのスパイ網」
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「フリッツ・ジュベール・デュケイン」の記事における「第二次世界大戦 - 「デュケインのスパイ網」」の解説
詳細は「デュケインのスパイ網」を参照 FBIがセボルドを通じてドイツ側スパイたるデュケインがニューヨークに舞い戻ったことを察知した際、FBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーはフランクリン・ルーズベルト大統領に対するブリーフィングを行った。この時に作成された書類には、その時点までで知られていたデュケインの経歴に関する概要に加えて、「FBI資料において、1932年6月6日以降のデュケインの行動および所在に関する情報は皆無である」と記されていた。「ダン」の担当に割り当てられたFBIのニューカーク捜査官はレイ・マクマナス(Ray McManus)の偽名を用い、当時デュケインが暮らしていたセントラルパーク近くのアパートでデュケイン宅の真上に部屋を借りて盗聴用の隠しマイクを設置した。しかし、間もなくしてデュケインの監視が極めて困難であることが明らかになる。ニューカークはデュケインについて、「『デューク』は人生のすべてをスパイ活動に費やしてきた為、彼が本に書いたような追跡者を避けるトリックの全てを無意識に使っている……普通列車に乗った彼はすぐに快速へ乗り換えたかと思えばまた普通列車に戻り、回転ドアに入ったかと思えばそのまま右側から出てきて、エレベーターで上階に向かったかと思えばまた降りてきて外に出て、あるいは建物の異なった入り口から出入りを行う」と報告している。デュケインはセボルドに対して自らがFBIの監視下にあると伝えており、尾行中だったFBI捜査官に対して付き纏うのをやめろと直接抗議したこともある。これらの出来事はニューカークによって事実と確認されている。 捜査の為、FBIはタイムズスクエアに3つの部屋を借りた。そのうち1室はセボルドの事務所として使用され、ここで彼は在米スパイからの連絡を受け取り、またFBI側の検閲を通した上で暗号化された短波放送を用いドイツ本国へと送信していた。残りの2室にはドイツ語話者のFBI捜査官が待機し、事務所にて行われるセボルドとスパイらの会談を盗聴器およびマジックミラー越しのカメラを用いて記録していた。デュケインが初めてセボルドの事務所を訪れた時、彼は室内の点検を始めてFBI捜査官らを驚かせたという。デュケインはチェストを開き、部屋の隅や鏡の周りを調べ、辛辣な口調でセボルドに「マイクはどこだ?」(where are the mics?)と尋ねたのである。その後にようやく安心したデュケインはズボンの裾を持ち上げ、靴下に隠していた文書を取り出した。デュケインが入手していた情報は、例えばM1小銃のスケッチおよび写真、新型軽戦車の設計図面、米海軍の魚雷艇の写真、擲弾発射器の写真、テネシー州ウェストポイント(英語版)の陸軍施設にて調査した米軍戦車に関する情報などであった。デュケインはまた、例えば「ズボンのポケットに穴を開けておき、遅延信管を取り付けた小型爆弾をそこから落とす」といった以前の戦争で使用されたサボタージュの手法に関する話題にも触れて、こうした機材が再び必要になるだろうと語ったという。
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