第二次世界大戦―晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/19 17:00 UTC 版)
「ミスタンゲット」の記事における「第二次世界大戦―晩年」の解説
1937年12月、「カジノ・ド・パリ」で『パリの夢幻劇』を上演。これが実質的にミスタンゲット最後の大舞台となった。この上演には客が殺到し、入場券整理のための窓口を増設しなければならないほどだった。 南米公演からの帰途、第二次世界大戦が勃発する。ミスタンゲットは「エトワール」、「カジノ・ド・パリ」、「アランブラ」に出演し、占領下のパリで歌った。しかし、このために戦後、ドイツ軍への協力を疑われることになった。 嫌疑が解けた1949年、「ア・ベ・セ」での『パリは楽しむ』に出演した。このとき、76歳のミスタンゲットを心配した興行主が「このレヴューには新人を仕込むシーンがあって、大階段を下りなければならないが、どんなものだろう」と相談したところ、ミスタンゲットは「私の相手をしてくれるその年寄り役はだれ?」と聞き返したという。舞台では、12分間つづくダンスを最後まで踊りとおした。 1951年にミスタンゲットは引退し、1956年1月、82歳で没した。死の直前、シュヴァリエから寄せられた励ましの電報を見て、ミスタンゲットは微笑みながら亡くなったという。 フランスの新聞は、ミスタンゲットの死を次のような大見出しで報じた。 「パリ中皆が泣いている。パリの建造物と同様に不滅と思われ、敬愛されてきた彼女は詩人、お針子(midinette)の都パリそのものだった」
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