第二次世界大戦から冷戦、民主化とは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦から冷戦、民主化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 14:12 UTC 版)

ブルガリアの歴史」の記事における「第二次世界大戦から冷戦、民主化」の解説

第二次世界大戦では枢軸国側につくこととなった1941年3月1日ブルガリア三国同盟加盟した当日から、ナチス・ドイツによるブルガリアへの進駐始まった同年4月6日ドイツギリシアユーゴスラビア攻撃開始ブルガリア駐留していたドイツ軍部隊22師団半々づつギリシアユーゴスラビア進軍したユーゴスラビアギリシア枢軸側に降伏すると、ユーゴスラビア南東部ギリシア東部ブルガリア占領統治行ったブルガリアソ連対し宣戦布告行っていなかったが、1944年9月5日にはソ連軍ブルガリア宣戦布告し領内への進入開始した9月9日にはクーデターにより、政権交代が行われ、対ドイツ戦開始することとなった1946年には祖国統一政府により、国民投票結果王政廃止されブルガリア共産党による一党独裁制社会主義国ブルガリア人民共和国となり、初代首相にはコミンテルン書記長などを歴任したゲオルギ・ディミトロフ就任したオスマン帝国からロシア解放されたこともあり、冷戦の時は親ソ連の体制をとりソ連16番目の共和国呼ばれるゴルバチョフ登場しペレストロイカ展開され社会主義陣営動揺生じ1989年ベルリンの壁崩壊象徴される東欧民主化運動ブルガリアにも波及した1989年11月10日には、他の党幹部達からの要求屈する形でトドル・ジフコフ共産党書記長辞任。これを受けて共産主義勢力活動が活発となり市民団体組織された。そして11月18日には環境保護情報公開求め市民団体首都ソフィアのアレクサンデル・ネフスキー広場集会開催5万人を越す民衆広場埋め尽くされた。集会では35年間にわたるジフコフ政権への不満と批判噴出、さらに共産党一党独裁放棄複数政党制導入言論出版の自由集会の自由自由選挙実施叫ばれ参加者拍手でそれに呼応した翌月には反体制同盟民主勢力同盟」が発足し共産党独裁体制崩壊した1990年には国名を「ブルガリア人民共和国」から「ブルガリア共和国」に改称共産党ブルガリア社会党改名した1992年には、民主勢力同盟ジェリュ・ジェレフ大統領再任された。

※この「第二次世界大戦から冷戦、民主化」の解説は、「ブルガリアの歴史」の解説の一部です。
「第二次世界大戦から冷戦、民主化」を含む「ブルガリアの歴史」の記事については、「ブルガリアの歴史」の概要を参照ください。

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