第二次世界大戦から現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:26 UTC 版)
「リュブリャナ」の記事における「第二次世界大戦から現代」の解説
第二次世界大戦中の1941年にリュブリャナはイタリア王国に占領されその一部となり、1941年5月3日にリュビアナ州 (en) の州都リュビアナとされ市長には以前のユーゴスラビア王国の将軍であったレオン・ルプニク (en) がなっている。イタリアの降伏後はドイツ軍とナチス親衛隊(SS)の親衛隊大将エアヴィン・レーゼナー (en) とフリードリッヒ・ライナー (en) が1943年に町の実権を握ったが 、形式上は1945年5月9日までイタリア王国リュビアナ州の州都とされていた。リュブリャナでは占領軍は要塞を設けたり、占領軍の協力者の組織としてイタリア占領時代は反共産主義義勇兵 (en) 、ドイツ占領時代はドモブランツィ (en) などが組織された。抵抗運動で地下組織のスロベニア国家解放戦線と都市の外側で活動するパルティザンの協調を邪魔するため都市の周囲 30キロメートル (19 mi)には有刺鉄線が張られていた。この有刺鉄線が張られていた場所は1985年以来、市街を囲む散歩道となっている。 第二次世界大戦終結後、リュブリャナはユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成するスロベニア社会主義共和国の首都となり、それは1991年まで続いた。スロベニアのユーゴスラビアからの独立宣言後、ユーゴスラビア人民軍の侵攻により十日間戦争が起こるがリュブリャナでは戦争の影響をほとんど受けず、スロベニアの首都となり2004年には欧州連合に加盟している。リュブリャナの歴史は戦災よりも地震や洪水による自然災害に多く見舞われ、2010年10月にリュブリャニツァ川などの氾濫 (en) により市の南郊や西郊に続き、北郊が危険にさらされていた。
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