福島店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:33 UTC 版)
1930年(昭和5年)に山田呉服店として創業し、1948年(昭和23年)に福島県福島市の本町通に百貨店を開業し、1973年(昭和48年)11月13日にJR福島駅前の平和ビルに移転・増床した山田百貨店 が、経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引き継がれて、店名もダックシティ山田福島店、福島ビブレ と変遷しながら営業を続けた。 1985年(昭和60年)6月19日には同じ平和ビル内にあったハトヤストアの売り場を引継いで売場面積12,251m2を増床 して、東北新幹線開業に合わせて福島駅西口の昭栄製糸工場跡に進出したイトーヨーカ堂 などに対抗し続けた。 1993年(平成5年)3月にマイカルの経営方針で同社の店舗ブランドであるビブレを用いることになって福島ビブレと改称し、山田百貨店の名称は完全に姿を消すこととなった。 1998年(平成10年)3月に山田百貨店から引き継いだJR福島駅東口の平和ビルの旧店舗を閉店し、1000台収容の立体駐車場や7館からなるシネマコンプレックスを持つJR福島駅北側の福島市曾根田町(現:曽根田町)の新店舗へ移転して 営業を引き継ぎ、若い女性を主要顧客として2001年(平成13年)2月期には売上高約90億円 を上げた。 翌年2002年(平成14年)2004年(平成16年)2月期には売上高55億8300万円 に落ち込み、2002年(平成14年)3月から賃料の3割減免を受けて年間3億~4億円の負担軽減がされていた にもかかわらず2億円弱の赤字 に陥った。 しかし同年9月14日、親会社のマイカルと同時にダックビブレも経営破綻。経営母体の破綻の影響で、信用不安から売れ筋商品が1年近く入らなくなって一気に客足が遠のいた。その後の再建策により、2002年(平成14年)3月から賃料の3割減免を受けて年間3億円から4億円の負担軽減がなされ、9月にさくら野百貨店福島店に名称変更 して再スタートを切ったが、2001年(平成13年)2月の高速バスにおける規制緩和によって仙台 - 福島線にて増便・運賃値下げ競争が年々激しさを増し、仙台市に買物客が流出。2004年(平成16年)2月期には売上高55億8300万円 に落ち込み、2億円弱の赤字 に陥った。 賃料の減免は当初2年間とされていたため、2003年(平成15年)7月から三井住友銀リースと減免延長の交渉を行ったが決裂して、2004年(平成16年)10月28日に契約解除が決まった。初代さくら野百貨店は2005年(平成17年)3月21日に福島店を閉店し、山田呉服店として創業して以来75年の歴史に終止符を打った。 閉店後は、JR福島駅前の福島駅前通りのニュー福ビルに贈答品や制服などを扱うサテライト店を開設して、一部業務を引き継いだが、こちらも後に閉店した。 跡地には、閉店直前に福島商工会議所などの提案で福島市役所移転が検討された が実現せず、2010年(平成22年)にビルを所有していた積水ハウスから、福島市の第三セクター福島まちづくりセンターが約9億円で土地と建物を取得し、同年11月25日に同社が運営するダイユーエイトを核店舗とする曽根田ショッピングセンターMAXふくしまが開業している。 山田百貨店から福島ビブレ時代まで入居していた平和ビルは、福島ビブレが曾根田町へ移転後、旧福島ビブレに隣接していた中合が1998年に出店し、「中合福島店・2番館」として紳士服や食品などの売り場を開設した が、後に耐震補強などの兼ね合いから2017年8月31日に閉店している(中合を参照)。
※この「福島店」の解説は、「さくら野百貨店」の解説の一部です。
「福島店」を含む「さくら野百貨店」の記事については、「さくら野百貨店」の概要を参照ください。
- 福島店のページへのリンク