砺波郡の支配に関する研究史とは? わかりやすく解説

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砺波郡の支配に関する研究史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:16 UTC 版)

田屋川原の戦い」の記事における「砺波郡の支配に関する研究史」の解説

従来の「田屋川原の戦い」をめぐる議論の中で、最も研究者注目を引き議論分かれてきたのが「闘静記」の「山田川のことなるか西は安養寺領と定ける、川東瑞泉寺領也」という一文である。そもそも戦後日本の歴史学の中では階級闘争史観基づいて一向一揆領主運動研究する流れがあり、その最も早期事例として「田屋川原の戦い」が注目されてきた背景があった。 「闘静記」は「田屋川原の戦い」を経て利波郡は瑞泉寺領と成」ったとするが、この記述の意味するところについて研究者の見解分かれている。当初、新行紀一らはこの記述そのまま受け入れ、「田屋川原の戦い」によって砺波郡にも加賀一向一揆のような門徒領国制が確立した論じた。 これに対し新田二郎は「闘静記」以外の同時期の砺波郡関わる史料精査し実証的に新行説を批判した。まず、新田文明18年(1486年)の書状などを挙げて文明18年以降砺波郡内では荘園領主代官一定の得分を持つ記録が残るが、逆に一向宗勢力荘園動向に関わったことを伝え史料ほとんどないことを指摘したまた、「官知論」の「長享二年加州土賊蜂起」に関わる記述越中の国人が「放生津吉江・運沼」に集結したとあることに注目し国人砺波郡内の吉江(石黒家拠点である福光の東に隣接する地域)・蓮沼集結したことは長享2年至って石黒家旧領国人側の有力拠点位置付けられていたことを示すものである述べたまた、新田永正3(1506)年の越後勢との戦いこそ研波郡全体巻き込む最初一向一揆であるとしつつ、この戦いの後でさえも国人勢力が研波郡に残存していたことを示す史料があることを紹介したその上で砺波郡においては長く武士国人領主勢力一向宗坊主抗争続き加賀国のような一向宗による一円支配成立しなかったと論じた久保尚文は新田二郎批判受けて 「闘静記」の記述再考察し新田氏の「闘静記」批判継承しつつ、「闘静記」には部分的に史実見なしうる箇所存在するという、従米の研究折衷する立場論考行った久保先述たように「闘静記」の一部後世の加筆見なすことでそれ以外箇所史実とみなしうる論じ一方、「田屋川原の戦い結果砺波郡一向宗支配下入った」 という点については新田説を支持して史実反するものと見なすまた、これに関連する史料として反故裏書」の「越中国坊主衆土山坊の与力とするが、河上分のみは瑞泉寺与力とする」 という記述紹介し、本来は砺波郡内の与力土山(安養寺)と瑞泉寺分割していたのが、後代になって両寺が砺波郡分割支配していたというニュアンス変化していったのではないか推測する。そして、越中加賀のような本願寺領国化の道に進まなかったのは、本願寺当時幕府体制下に組み込まれ結果であるとする。 金龍静は新行紀一の挙げた東大寺文書記述について、そもそもこの史料では何故「地下人一向宗」とわざわざ両者分けて記述しているのか(同時代荘園での未進逃散記録では一向宗徒は地下人中に含まれる)、という点に注目した。この点について、金龍静文明年間加賀額田荘得丸名の相論において、 額田惣荘側が「仏法の当敵を責め失せる廉直弓矢(仏法の敵を破る戦い)」であったことを理由当時慣習逆らった判断をしたことを紹介し高瀬荘における土一揆についても同様の論理働いたではないか指摘する。すなわち、「高瀬荘の一揆」は「仏法戦い」という名目の下で荘園領主側と争ったからこそ東大寺文書にも一揆主体が「一同宗」であると記録されたのであり、やはり「高瀬荘の一揆」は一向一揆側面有するものであった、と論じている。 現在では、「田屋川原の戦い」後の砺波郡について久保尚文の提唱する説(「田屋川原の戦い」は実在した考えられるが、それによって砺波郡即座に一向宗支配下入ったとは考えられない)を踏襲する見解主流である。

※この「砺波郡の支配に関する研究史」の解説は、「田屋川原の戦い」の解説の一部です。
「砺波郡の支配に関する研究史」を含む「田屋川原の戦い」の記事については、「田屋川原の戦い」の概要を参照ください。

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