石楯尾神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 石楯尾神社の意味・解説 

石楯尾神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/20 16:45 UTC 版)

石楯尾神社(いわたておのじんじゃ、或いは いわたておじんじゃ)とは、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に記載されている相模国延喜式内社十三社の内の一社(小社)で、鎮座地については同帳に「高座郡石楯尾神社」とある。

相模川右岸の石楯尾神社(名倉大権現)の所在する津久井地域は、中世まで愛甲郡に属し「奥三保」と呼ばれ、相模川左岸の旧相模原市域と三井、中沢、川尻など旧津久井町北部および旧城山町北部、旧藤野町北部および旧相模湖町北部も含めた相模川左岸(北岸)全体が高座郡に属していた[1][2]が、室町に発生した野火で高津座峯にあった石楯尾神社の古代文書が焼失し、現存しない。

このため、いわゆる論社のあるものは高座郡石楯尾神社のみである。この社に関しては、神奈川県内に論社が七社も存在する。本項では論社とされる神社全てを併記している。

石楯尾神社(名倉大権現)

石楯尾神社(名倉大権現)

所在地 神奈川県相模原市緑区名倉4524
位置 北緯35度36分51.6秒 東経139度7分54.6秒 / 北緯35.614333度 東経139.131833度 / 35.614333; 139.131833
主祭神 石楯尾大神
社格 式内社(小)、郷社旧社格
創建 不詳
本殿の様式 神明造
別名 名倉権現
例祭 8月26日
テンプレートを表示

石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)は、神奈川県相模原市緑区名倉に鎮座する神社である。「名倉の権現さま」とも呼ばれる。

境内の中央には御神木として、推定樹齢400年とされる樹高40m、胸高3.7mの二本杉(夫婦杉)がある。この杉と社叢は神奈川県指定天然記念物になっている[3]

当社は創建当初はいまの場所より西方の甲斐国寄りの国境山梨県と神奈川県の県境)に鎮座していたと伝えられ、延喜式記載の鎮座地である「高座郡」(旧愛甲郡)の圏外に位置する。当時は郡の範囲が北西部の相模川沿いまで伸びていたとする説もある。

旧来「エボシ岩」が礼拝対象であった。この岩と伝わるものが明治に入るまで当社の東方近辺にあったが、中央本線の鉄道建設工事の折に撤去されてしまった。また、この岩から見て当社は尾っぽの方(相模国の端であり、地形的には丘陵の端でもある)に位置するので、「石楯尾(いわたてお)」と呼ばれるようになったともいわれる。

応神天皇の御幸所で御造営があったとも伝えられ、天安元年(857年)、従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録に記載されている国史所載社である。延喜式では式内小社に列した延喜式内社であるが三増合戦の禍を受け、永禄12年(1569年)社殿全部が火災にあい、古記録まで焼失した。

社殿は享保9年(1724年)に建築されたものである。明治6年(1873年)、社格制定に際し郷社となる。1923年大正12年)、神奈川県告示第26号により神饌幣帛料供進指定神社に指定され、1948年昭和23年)には神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。

神社明細帳は元亀元年(1570年)に消失したとされ由緒がわからなくなっていたが、1942年(昭和17年)に神社明細帳の訂正が許可され、正式に式内社として国家から認められた。また戦後には、古文書によっても証明されたとされる。

桂川南岸に鎮座していることから、式内社調査報告では地形的に当社が式内社である可能性が高いとしている。また、文化5年(1808年)と翌年に神祇官から献上された幣帛が今に残っており、実際の証明物としても論社の中で最古のものである。

祭神

祭礼

境内社

交通

備考

御朱印などを頂く際、社務所に人がいない場合もある。

参考文献

  • 石楯尾神社(相模原市緑区名倉)境内掲示板

参照

  1. ^ 津久井郡#歴史
  2. ^ 相模原市#歴史
  3. ^ 【歴史】石楯尾神社”. 藤野観光協会. 2023年6月8日閲覧。
  4. ^ 路線バス:上野原・藤野地区(富士急バス)

外部リンク

石楯尾神社(佐野川の御石杜)

石楯尾神社(佐野川の御石杜)

所在地 神奈川県相模原市緑区佐野川3448
位置 北緯35度39分23.1秒 東経139度7分10.5秒 / 北緯35.656417度 東経139.119583度 / 35.656417; 139.119583
主祭神 神日本磐余彦尊
社格 式内社(小)、村社(旧社格)
創建 不詳
本殿の様式 八幡造
別名 御石杜
例祭 8月23日
テンプレートを表示

石楯尾神社(いわたておじんじゃ)は、神奈川県相模原市緑区佐野川に鎮座する神社である。佐野川の御石杜(おいしのもり)と呼ばれる。

景行天皇庚戌40年(110年)、日本武尊東征の帰りのこと。軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)には神実(かむざね)として草薙の剣、石楯尾神社には天磐楯(あまのいわたて)を東国の安定した治世のため「三国山」に鎮め神武天皇を祀っり今日に至る。武尊勅で石楯と呼ぶ。この倉を高座といい、高座石楯尾神社と呼ばれた。このように石楯尾神社はかつては生藤山の東、高津座(つつぐら)峯にあって奥の宮と呼ばれ、ふもとの蚕山(こやま、931m)[1][2]には前社がおかれていた[3]

祭られている坂上石楯は、高座郡の県主で当地の住人であった。第47代淳仁天皇天平宝字8年(764年)に藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)のとき、乱を鎮めた功によって、高座・大住鮎川多摩都留の五郡を賜ったといわれ、石楯尾神社の保護者である。藤木姫は石村石楯の妻である。

生藤山の東、高津座(つつぐら)峯にあって奥の宮は、400年以上前の室町時代の文禄年間(1593年〜1596年)に野火の災に罹る。

本来は巨石を祀っていたという。江戸時代には武甲相三州から多くの民衆がお参りし、幼児の疳虫除けの祈祷を受けたという[4]

1871年(明治4年)、2023年現在の本社を以て石楯尾神社と称し、蚕山にあった社を廃した[5]

幣殿、拝殿は1937年(昭和12年)に改築されたが本殿は室町時代の建築様式をよく伝えている。本殿棟札には「天保7年(1836年)11月氏子中、調写、浄善石船、謹記」とある。神楽殿は弘化年間(1854年)に建てられたものである。ずらりと境内社が並ぶも、伝承は伝わっていない。

祭神

県指定文化財

重要文化財
  • 本殿(指定日:1996年2月13日)
  • 桁行3メートルの一間社切妻造の大規模社殿である。向拝殿と母屋背面桁の高さをそろえて全体を切妻屋根で覆ってある。蟇股(かえるまた)や絵様などから16世紀末頃の建築と推定されている[6]

交通

備考

相模原市緑区与瀬にある與瀬神社[8]が当社の管理を兼務している。

関連項目

参考文献

  • 石楯尾神社(相模原市緑区佐野川)境内掲示板

参照

  1. ^ 国土地理院の地図
  2. ^ 守屋二郎「山梨東部の山 登山詳細図(東編)」
  3. ^ (1985年(昭和60年))「新編相模国風土記稿巻之119 村里部 津久井縣巻之4」『大日本地誌大系23 新編相模国風土記稿 第5巻』pp.353-356.雄山閣
  4. ^ 永禄12年(1569年)に武田信玄小田原を攻めたとき焼かれたが、その後、再建され今日に至っている。
  5. ^ (1988年(昭和63年))『大日本國誌 相模国 第3巻』pp.308-309.ゆまに書房
  6. ^ 石楯尾神社本殿-県重要文化財”. 相模原市役所 (2021年6月25日). 2023年6月11日閲覧。
  7. ^ 上野原駅発井戸行バス時刻表”. 富士急山梨バス (2023年5月17日). 2023年5月17日閲覧。
  8. ^ 與瀬神社(神奈川県神社庁)

外部リンク

石楯尾神社 (相模原市南区)

拝殿

所在地

神奈川県相模原市南区磯部2137

外部リンク

諏訪明神(相模原市緑区大島)

諏訪明神(座間市入谷西)

所在地

神奈川県座間市入谷西3-41-27

外部リンク

諏訪神社(大和市)

皇大神宮(藤沢市鵠沼)

石楯尾神社(境内末社)

神奈川県藤沢市鵠沼に鎮座する皇大神宮境内末社。皇大神宮の社伝によると、現皇大神宮の建立以前に石楯尾神社があったとされる[1]

祭神

  • 石楯尾大神

祭礼

  • 5月17日 - 石楯尾神社例祭

参考文献

  • 皇大神宮(藤沢市)境内掲示板

脚注

  1. ^ 皇大神宮(神奈川県神社庁)

関連項目

外部リンク



このページでは「ウィキペディア」から石楯尾神社を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から石楯尾神社を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から石楯尾神社 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石楯尾神社」の関連用語

石楯尾神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石楯尾神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石楯尾神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS