短期間での衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 03:46 UTC 版)
「レーザーディスクゲーム」の記事における「短期間での衰退」の解説
LDゲームの登場当時は、非常に綺麗な映像を使えるビデオゲームとして、大いに期待されたが、実際の人気は短いものとなった。パイオニアの社史では、1983年後半から1984年初頭にかけてアメリカで大ブームになったものの、需要にあてこんで製造したLDプレーヤーが急激な冷え込みによって過剰在庫になり同社は赤字に陥ったとされている。 衰退の理由としては以下の要素が挙げられる(#参考文献参照)。 LDの元映像自体は鮮明だったが、ビデオゲーム用のテレビ画面では、再生映像が少々ぼやけていた。 アーケードゲーム、それも大形筐体という、酷使される条件を想定していなかったことに加え、当時のLDは熱や衝撃に弱かったため、故障が多発した。 ゲームの奥行きそのものが浅かった。LD映像はプレイヤーの操作によって、次の映像を変えられるだけで大きく変化させる事が出来ず、ゲーム内容が実際は単なる覚えゲーである。例えば、シューティングゲームであれば、映像内の特定の場所を撃てばいい。ゲームによっては何百ヶ所も選択があるものの、正しい選択を覚えれえばラストまで簡単に行く事ができた。 ただしアメリカでは、日本に比べ独創的なゲームが好まれる傾向があるために、大ヒットのジャンルとなり、その後も1990年代前半までLDゲームが出ていたケースが見られた。 ビデオゲームのグラフィックの表現力が向上し、また、それ自身がビデオメディア無しでも動画が容易に扱えるようになったことで、LDを使用する必然性はなくなり、更にLD自体が衰退してLDプレーヤーが1990年代を最後に新商品の開発自体がなくなったことにより、1990年代後半にはアメリカでも新作がリリースされず市場から消えていくことになった。 1993年には家庭でLDゲームが楽しめる家庭用ゲーム機としてレーザーアクティブなども発売されたが、LDと同等の映像表現が可能で、しかも安価で取り扱いに優れたCD-ROMを採用した家庭用ゲーム機の普及によって、1990年代中盤にはゲーム用メディアの主流は完全にCD-ROMに移った。しかしその後も「映像に合わせてタイミングよく特定のボタンを押す」という要素はいくつかのゲームで踏襲され、現在は「クイックタイムイベント(QTE)」などと呼ばれている。 LDゲームの一部は、アマチェアを中心とするアーケードゲームコレクターにより保存されている。しかし、通常の汎用筐体用アーケード基板と異なり、前述通り特殊な仕様とサイズを必要とするため、大形筐体や体感筐体同様、かなりコアなコレクターでなければ保有出来ない。 メディアにDVD-ROMを採用したハードが主流となる2000年代には、技術的にはLDゲームの完全移植も可能となったが、前述の通りLDゲームの筐体は酷使に弱いことや、レーザーディスクの劣化の問題などもあって後年まで現存する基板が少ないため、ある程度の有名作品であっても現行ハードへの完全移植が絶望的な作品も多い。
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