短期間のドイツ留学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 03:49 UTC 版)
「バーバラ・マクリントック」の記事における「短期間のドイツ留学」の解説
全米研究委員会の研究奨学金が切れた1933年(31歳ごろ)、マクリントックはモーガン、エマーソン、スタドラーの推薦で、ドイツのグッゲンハイム研究奨学金(英語版)を得た。当初の予定ではクルト・シュテルンの元に行く予定だったが、シュテルン改めカート・スターンが1932年にアメリカに移住していたため、カイザー・ヴィルヘルム研究所のリヒャルト・ゴルトシュミット(リチャード・ゴールドシュミット)(英語版)の元で研究した。しかし、ちょうどそのとき誕生したナチス・ドイツの政策により、親しい研究者が迫害されたりしたため、ドイツはマクリントックにとって全く居心地が良い場所ではなく:121、わずか6ヶ月でコーネル大学に戻った。 マクリントックは帰国後も職を見つけられなかった。コーネル大学に限らず、当時女性研究者にはほとんどの場合、研究助手や研究者の妻といった形でしか仕事の機会が与えられなかった。しかし、マクリントックは女性向きの仕事を拒否した。かといって男性向けの仕事が与えられることもなかったので、結果としてマクリントックは研究以外の仕事をすることがほとんど無く、これが反抗的と解釈されることもあった:129。「マクリントックは気難しい」という評価をする人も多く、モーガンは「マクリントックは世間に敵意を持っているようだ」と語っており:123、マクリントックの優秀さを認める研究者も、自分の研究室でマクリントックを雇おうとはしなかった:129。 .mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} コーネル大学 ミズーリ大学 カリフォルニア工科大学 コールド・スプリング・ハーバー研究所 スタンフォード大学 関係地図 なお、今日、「マクリントックは女性だったため、能力に見合った待遇を得られなかった」と解説されることが多い。これは主にマクリントックとその知人を直接取材して作られたエブリン・フォックス・ケラーの半生記に基づいている。ところがマクリントックの死後伝記を書いた科学史家のナザニエル・コンフォート(英語版)によれば、状況が若干違っている。コンフォートは「ケラーの伝記は『女性であるがゆえに正しく評価されなかった』という点に重点をおきすぎており、大げさである」と述べており、マクリントックの伝記を読む際には若干の注意が必要である。 モーガンはロックフェラー財団に働きかけ、その甲斐あって1934年10月から1年間、マクリントックに計1800ドルが支給されることになった。この頃に、マクリントックの父トーマスはロックフェラー財団に娘の就職の世話を依頼しており、これに対してマクリントックは大きく不快感を示している:127。一方、コーネル大学卒業以来の同僚だったマーカス・ローズもハーバード大学への就職が決まり、マクリントックはコーネルでの親しい同僚をほとんど失った:130。ロックフェラー財団からの資金援助はその後1年延長されたものの、3年目は無い旨が明言されていた。不安定な地位にマクリントックの士気は上がらず、1935年には論文2報を発表するものの、1936年には研究人生始まって以来の論文0という結果になった:129。
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