短期間の首相就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 14:29 UTC 版)
「アンドルー・ボナー・ロー」の記事における「短期間の首相就任」の解説
ボナー・ローの後任の保守党党首にはオースティン・チェンバレンが就任した。彼は保守党内で大連立解消論が高まる中で挙国一致内閣の維持を主張し続けた。しかし解消機運を抑えきれず、1922年10月19日にはカールトン・クラブでスタンリー・ボールドウィンが提案した議案について保守党議員の採決で大連立解消が決議されるに至った。この決議はボナー・ローの大連立反対演説に影響を受けていた。これによりロイド・ジョージとチェンバレンはそろって辞職に追いやられた。 代わってボナー・ローが保守党党首に選出された。1922年10月23日午後5時30分には国王ジョージ5世より組閣の大命を受けた。内閣成立直後に解散総選挙を行って安定多数を確保した。しかし有力保守党議員の多くがチェンバレンに従っていたため、あまり強力な内閣は作れなかった。 首相在任中、ボナー・ローの体調は悪化を続け、1923年4月末には医師の勧めで航海の旅に出た(この間はカーゾン卿を首相代理、スタンリー・ボールドウィンを庶民院院内総務とした)。しかし帰国後も体調は回復しなかった。1923年5月に咽頭癌との診断を受けたため、5月20日に首相職を辞することになった。在職わずか7ヶ月の首相であった。 退任から間もない1923年10月30日にロンドンで喉癌死去した。
※この「短期間の首相就任」の解説は、「アンドルー・ボナー・ロー」の解説の一部です。
「短期間の首相就任」を含む「アンドルー・ボナー・ロー」の記事については、「アンドルー・ボナー・ロー」の概要を参照ください。
- 短期間の首相就任のページへのリンク