短期金融市場の歯車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:32 UTC 版)
「イングランド銀行」の記事における「短期金融市場の歯車」の解説
1984年、ゴールド・フィックスであったジョンソン・マッセイの貿易金融子会社が倒産した。救済措置としてイングランド銀行などが1億5000万ポンドの債務保証を与えた。1985年、1ポンド硬貨導入。史上最安の1ポンド=1.04USドル。 1986年、ビッグバン。1987年、アイヴァン・ボウスキーに対する捜査追及によってギネス株の価格操作事件が発覚(Guinness share-trading fraud)、イングランド銀行がモルガン・グレンフェル(現ドイツ銀行)CEOクリストファー・リーヴズ(Christopher Reeves)の引責辞任を強制する事態となった。1988年、ジョンソン・マッセイ・バンカーズへの債務保証に使われた資金が全て返還された。 1990年、欧州通貨制度に参加。1991年、国際商業信用銀行に営業停止命令。ときの重役の複数がロスチャイルド家と関係。 1992年、ポンド危機。この年の国家債務、2145億2800万ポンドに達する。欧州通貨制度を離脱。キャドバリー報告書。 1995年、イングランド銀行が証券集中保管機関であるCRESTのクラウドプロバイダーに国際銀行間通信協会を選択。イングランド銀行副総裁のペナント・リー(Rupert Pennant-Rea)が、行内で女性ジャーナリストのシノン(Mary Ellen Synon)と性行為、ベアリングス銀行の救済を最後の業績として引責辞任した。 1996年7月、ロスチャイルド家当主となるはずであったロンドン家のアムシェル(1955-1996) がパリのホテルで変死。 1997年、イングランド銀行の金融政策委員会が財務省から政策金利など金利設定の権限を移譲された。 1998年4月、債務管理庁(Debt Management Office)に英国債管理政策に関する権限を委譲した。同年、根拠法改正により副総裁枠が増えて、この新枠副総裁も減債委員会に参加するようになった。また、イングランド銀行は一昨年に設立された金融サービス機構へ金融機関を監督する権限を移管した。移管は1998年イングランド銀行法によった。 2002年8月、CREST がユーロクリアに買収される。2003年2月、公定歩合3.75%に。48年ぶりの低金利となる。同年7月に3.5%へ。2004年、新ロンドン証券取引所がオープン。スレッドニードルからの移転。 2007年、ノーザン・ロックに特別融資。2009年、発券数の週次決算報告を廃止。同年3月末の時点で、ポンド相場は1.42ドル。イギリスの世界金融危機は、ノンバンクを連鎖の発端とする本質において、セカンダリー・バンキング危機および1992-3年のモーゲージ危機と共通するという。 2011年11月以降、総裁のマービン・キングが国際決済銀行主要会合の議長を兼ねる。 2013年4月、金融サービス機構廃止。同年7月1日から初めての外国人のマーク・カーニーが総裁になった。 2014年、副総裁の定員が4人となった。イングランド銀行関係者(Joint Standing Committee)2人が外為相場の不正操作事件に関与したことが発覚(Forex scandal)。 2015年5月、イングランド銀行はビットコインフォーラムメンバーになった。イングランド銀行は、ブロックチェーン技術に基づいた法定電子通貨の発行を検討している。政府も1460万ドルの研究資金を提供すると謳っている。同年6月、イングランド銀行はロスチャイルドとアドバイザーをつとめ、政府がロイヤルバンク・オブ・スコットランド株を売却する方針に同調した。 2017年7月、BOENが解散した。イングランド銀行が所有する信託会社として発足し40年が経っていた。
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