直弟子および西川ヒノデショウ伴奏要員
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華ばら (本名:木下千鶴子) 西川日出七・日出八 西川小サクラ・ヒデ次 西川シネマ・スコープ 西川大番頭・小番頭 初代西川ヒロシ (本名:藤本博) 1960年に新世界新花月で初舞台。後に本名で歌謡ショウの『泉詩郎歌謡ショウ』に参加。 松島次郎 (本名同じ) 1961年に新世界新花月で初舞台。その後本名で『泉詩郎歌謡ショウ』に参加。 初代西川ヒデキ (本名:菅原みよじ) アコーディオン担当。1953年に楽団『レッドローズ』に参加し大手前会館で初舞台、ヒノデショウを経て、本名で『泉詩郎歌謡ショウ』に参加。 2代目西川ヒデキ (本名:溝口厳司、1946年4月19日 - ) 3代目西川サクラの実弟。アコーディオン担当。 1974年にヒノデに弟子入り。翌年梅田トップホットシアターで西川秀紀の名で初舞台、1978年にヒデキに改名。 1981年に姉の3代目西川サクラと『西川サクラ・ヒデキ』を結成。1987年に『椿ようこ・けんじ』に改名。2003年頃まで舞台に出る。 2代目西川ヒロシ(後の中川ヒロシ) リードギター担当。『平和勝次とダークホース』で活動後、桐野丈二郎の名で作曲家に転身。 西川ヒデノ ギター担当。 可愛コヒデ(小ヒデ) ボーカル担当。元3代目吉田奈良丸門下の吉田一丸という浪曲師。後に音楽ショウ『可愛コヒデショウ』を結成。 森井良太郎 (1909年 - 1971年、本名同じ) トランペット担当。元『あひる艦隊』のリーダー。後進の指導のため『あひる艦隊』を離れ『西川ヒノデショウ』に参加。 西川ヒデ若 (本名:平川幸朗、1941年10月5日 - ) ヒノデショウ、『リズムデッサン』を経て、同僚の西川ヒデオ(中田軍治)と『Wヤング』(第1期)を結成、圧倒的なしゃべくり漫才で一世を風靡する。 西川ヒデオ (本名:中田軍治、1937年12月2日 - 1979年10月25日) ヒノデショウ、『リズムデッサン』を経て、同僚の西川ヒデ若(平川幸朗)と『Wヤング』(第1期)を結成、圧倒的なしゃべくり漫才で一世を風靡する。 西川ヒデト (本名:中川厳) アコーディオン担当。1959年に千日劇場で西川ヒロミと歌謡漫才コンビ『西川ヒデト・ヒロミ』で初舞台。その後西川アサヒの名で葛城はるみ(後の桜はるみ)とコンビを組み、解消後はピンで司会、歌謡漫談に転向。 西川ヒデノ 西川ヒデ坊 (本名:堀内龍一、1926年 - ) ヒノデの実弟。『花園ベティ・江美領一』では江美領一の名で活躍。ギター片手に歌謡漫才をした。 西川ヒロミ (本名:長谷川信子) 西川ヒデトとコンビを組んだが、結婚を期に廃業。 西川三郎 西川四郎 (本名:北原栄蔵) 元『ピンアップトリオ』の栄二。その後ヒノデショウに四郎の名で参加したが、廃業。 西川ヒーター ミス浪花 ボーカル担当。 西川助三 西川格三 ギター担当。 西川そごう ハヤトとのコンビを経てひよ子と『西川トリオ』を結成。 西川ハヤト そごうとのコンビを経てひよ子と『西川トリオ』を結成。 西川ひよ子 (本名:川畑ヨシ子) 鹿児島県川内市出身。1980年から『西川トリオ』後に上京し玉川スミに弟子入りし、玉川若スミ、明尾美ゆき、萩本佳穂を経て萩本果穂を名乗る。現在松竹芸能所属。
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