発見・観測史
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「ハービッグ・ハロー天体」の記事における「発見・観測史」の解説
最初のハービッグ・ハロー天体は19世紀終わりにバーナムによって観測された。彼はリック天文台の36インチ屈折望遠鏡を使っておうし座T星を観測している時に、星のそばに小さな星雲状の領域があることに気づいた。しかしこの天体は単なる輝線星雲として分類され、後にバーナムの星雲 (Burnham's Nebula) として知られるようになったものの、従来の輝線星雲と別種の天体であるとは認識されなかった。しかしその後、おうし座T星は非常に若い変光星であることが明らかになり、後におうし座T型星として知られる同様の天体の典型例であることが分かった。おうし座T型星は星の中心部で重力収縮と原子核反応によるエネルギー生成とがまだ釣り合いに達していない段階の星である。 バーナムの発見から50年後、同じような星雲がいくつか発見された。これらは非常に小さくほとんど星のようにしか見えない天体だった。1951年、ハービッグはリック天文台の90cmクロスリー望遠鏡を用いて1946年と1947年に撮影されたオリオン座の散光星雲 NGC 1999 の写真乾板から星雲状に見える奇妙な天体を3個発見し、そのうちの明るい2個について分光観測を行った 。翌1952年にはアロも論文を発表し、ハービッグの発見した天体を1950年にアロも独立発見していたこと、同様の天体を新たに4個発見しており、これらの天体は全て赤外線の波長では見えないことを指摘した 。彼らが発見した天体のうち、ハービッグが最初に分光観測を行った2個の明るい天体は現在では HH 1 と HH 2 というカタログ番号が付けられている。また、ハービッグはバーナムの星雲の観測も行い、この星雲が水素・硫黄・酸素の強い輝線を持つ変わったスペクトルを持っていることを発見した 。 それぞれの発見の後、ハービッグとアロはアメリカのアリゾナ州ツーソンで開催されたある天文学の会議で出会った。ハービッグは当初、自分が見つけた天体についてはあまり大きな興味を持っておらず、主として星雲のそばにある恒星の方に関心を持っていたが、アロの発見に関する発表を聞いて、この天体についてより詳しい研究を行なうこととなった。その後、ソ連の天文学者ヴィクトル・アンバルツミャンがこの天体に彼ら二人の名前を付けてハービッグ・ハロー天体と呼んだ。アンバルツミャンはこの天体が数十万年程度の年齢を持つ若い恒星のそばで見つかることから、この天体はおうし座T型星の形成初期段階を示すものではないかと示唆した。 研究が進むにつれて、HH 天体が強く電離していることが分かり、初期の理論家たちはこの天体には光度の低い高温星が含まれているのではないかと推定した。しかし HH 天体の星雲には赤外線の放射が見られないことから、この内部に恒星が存在する可能性は低いことが分かった。もし恒星が存在すれば赤外線を強く放射するはずだからである。その後の研究で HH 天体の星雲に原始星が存在する可能性も示唆されたが、最終的に HH 天体は近くにある若い星から放出された物質で、それが超音速で星間物質と衝突し、その衝撃波によって可視光が放射されていると理解されるようになった 。 1980年代初めになると、HH 天体のほとんど全てにジェット状の構造が存在することが観測によって初めて明らかになった。このことから、親星から放出されて HH 天体を形成している物質は非常に強く収束している(非常に細いジェットに絞られている)ことが分かった。一般に恒星が誕生した直後の数十万年は恒星の周囲に降着円盤が存在することが多い。降着円盤は恒星に向かって周囲のガスが落ち込むことによって作られるが、この円盤の内側の部分は高速で自転しているため、部分的に電離したプラズマの細いジェットが円盤の垂直方向に放出される。このようなジェットは polar jet と呼ばれる。このジェットが星間物質と衝突すると明るい輝線を放射する小さな領域が生じ、これがハービッグ・ハロー天体として観測される 。
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