生涯と音楽上の業績とは? わかりやすく解説

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生涯と音楽上の業績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 10:52 UTC 版)

光崎検校」の記事における「生涯と音楽上の業績」の解説

生年不詳文政4年1821年)に検校となる。都名(いちな : 当道座属す盲人名乗った名前)は浪の一(なみのいち)、のち富機一に改名地歌三味線一山検校(いちざんけんぎょう)に、箏曲八重崎検校師事。すでに当時先輩音楽家たちにより地歌三味線音楽作曲演奏技巧開発頂点達していた中において、新たな方向をさまざまに模索そのひとつとして、江戸時代初期音楽である三味線組歌箏組歌段物をよく研究し、自らの曲にも取り入れた。 また三味線言うに及ばず八重崎検校弟子ということもあり箏にも非常に堪能で、自作曲のうちいくつかは、自ら箏の手付けており、一つの曲で三味線、箏の両パート作ったのは光崎最初と言われる。更に、当時箏が江戸中期以来三味線後続として発展して来つつ、いまだ開拓余地があることに注目しこれ以上進む余地少なくなりつつあった三味線から離れた、箏のみの音楽を再び作り出したことは特に重要で、これは後の邦楽新たな方向付けとなった中でも吉沢検校はその精神受け継ぎ千鳥の曲』などを作曲しているが、千鳥の曲には批評を乞われた光崎助言により手直しされた部分があるという。 作風精緻端正かつ理知的気品風格があり、高度な技術要求される曲が多い。江戸初期の手法を取り入れたり、『七小町』や『三津山』など能に取材した曲もあり、また作品一つ五段砧』はきわめて複雑精緻作られた箏の高低二重奏曲である。一方秋風の曲』は、白居易の詩「長恨歌」に取材、やはり江戸初期楽曲形式である箏組歌段物スタイルによって作られた箏と歌のための曲で、そのために新たな箏の調弦法「秋風調子」を考案したが、当時流行していた明清楽旋法取り入れられているという。 彼の芸術性高く評価した越前国代官蒔田雁門パトロンとなり、作曲や譜本の出版後押しした楽譜出版には熱心で、精密な三味線楽譜集である「絃曲大榛抄」や、自作曲秋風の曲』の楽譜である「箏曲秘譜」を発刊したまた、戦前まで光崎本人校閲した『五段砧』の譜本が現存していたが、これは戦災焼失した光崎このような積極姿勢当道座反感誘い京都追われたという話もあるが定かではない。またそれについて、本来は箏のみで演奏されるべき箏組歌代表曲菜蕗(ふき)』に、合奏打ち合わせ)できる三味線曲『夕の雲ゆうべのくも)』を作曲し憤懣はらしたともいう。 門弟一人備後国葛原勾当八重崎検校門人でもある)がおり、中国地歌箏曲の元となった1853年頃没。

※この「生涯と音楽上の業績」の解説は、「光崎検校」の解説の一部です。
「生涯と音楽上の業績」を含む「光崎検校」の記事については、「光崎検校」の概要を参照ください。

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