生息数の激減と保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:50 UTC 版)
羽毛目的の乱獲、リン資源採取による繁殖地の破壊などにより生息数は激減した。 1887年に羽毛採取が始まり、1933年に鳥島、1936年に聟島列島が禁猟区に指定されるまで乱獲は続けられた。当初は主に輸出用だったが、1910年に羽毛の貿易が禁止されてからも日本国内での流通目的のために採取され計6,300,000羽が捕殺されたと推定されている。以前は小笠原諸島・大東諸島・澎湖諸島でも繁殖していたとされるが、繁殖地は壊滅している。また彭佳嶼、西之島でも繁殖していたとされる。1939年には残存していた繁殖地である鳥島が噴火し、1949年の調査でも発見されなかったため絶滅したと考えられていた。 1951年に鳥島で繁殖している個体が再発見された。以降は測候所(後に気象観測所)による監視と保護が続けられていたが、1965年に火山性群発地震による気象観測所の閉鎖に伴い保護活動は休止した。1976年に調査や保護活動を再開し、ハチジョウススキ(1981年・1982年)やシバの植株と土木工事による繁殖地の整備、1992年には崩落の危険性が少ない斜面に模型(デコイ)を設置し、鳴き声を流す事で新しい繁殖地を形成する試みが進められ、繁殖数および繁殖成功率は増加している。 1971年に南小島の個体群も再発見され、1988年には繁殖が確認されている。2001年に北小島での繁殖も確認された。2014年には小笠原諸島の媒島で雛が発見され、さらに2015年2月、同島に生息するつがいが発見され、両者の羽毛のDNA解析から親子関係が証明され、小笠原諸島で戦後初の繁殖確認となった。 ウィキソースに天然記念物を特別天然記念物に指定する件の文化財保護委員会告示文があります。 ウィキソースに特別天然記念物鳥島のアホウドリおよびその繁殖地の名称および指定地域を改める件の文化財保護委員会告示文があります。 日本では1956年3月3日に「鳥島のアホウドリ及びその繁殖地」として天然記念物に仮指定、1958年4月25日に「鳥島のアホウドリおよびその繁殖地」として国の天然記念物に指定、1962年4月19日に特別天然記念物に指定、1965年5月10日に特別天然記念物の名称が「アホウドリ」へ変更された。1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されている。 1951年における生息数は30 - 40羽、1999年における生息数は約1,200羽と推定されている。2006 - 2007年度における繁殖個体数は約2,360羽(鳥島80%、尖閣諸島20%)と推定されている。2018年の調査では鳥島集団の総個体数は5,165羽と推定された。 絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト) 鳥島で火山活動が活発化する兆しがあるため、小笠原諸島の聟島に繁殖地を移す計画が2006年から進められている。鳥島で産まれたアホウドリの雛の一部を聟島に運んで育てることで、聟島を新たな繁殖地として認識させるというもので、2012年12月時点では、2008年から2009年にかけて旅立った25羽のうちの12羽が帰島している。また、つがいが産卵していたことも日本放送協会 (NHK) のカメラによって確認されたが、孵化はしておらず未受精卵だった。 その後、2014年5月に聟島の隣の媒島においてアホウドリの雛が発見され、2015年2月にはその親である聟島を巣立った人工飼育個体と野生個体のつがいが発見された。また、2017年3月には媒島を巣立ったつがいの子が聟島に帰還したことが確認され、人工飼育個体の子世代初の帰還例となった。
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