理想化からの逸脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 04:09 UTC 版)
「女性の肖像 (ファン・デル・ウェイデンの絵画)」の記事における「理想化からの逸脱」の解説
ファン・デル・ウェイデンの肖像画は、同時代のヤン・ファン・エイク、ロベルト・カンピンらと同様に、伝統的なネーデルラント絵画の影響が見られる。15世紀半ば当時、この三名が初期フランドル派における第一世代の画家だった。そして、北ヨーロッパで、それまでの中世ヨーロッパの宗教的に理想化された肖像画ではなく、写実的に中上流階級の肖像画を描いた最初の画家たちでもある。それまでのネーデルラント絵画では、上流階級や聖職者の肖像画のほとんどが横顔で描かれていた。しかしながら、1433年の作品『ターバンの男の肖像』にみられるように、ヤン・ファン・エイクがこの慣習を打破し、以降のネーデルラント絵画の肖像画では斜め前を向いた構図で描くことが標準となった。ファン・デル・ウェイデンもこの『女性の肖像』のように斜め前の構図を多用しており、モデルの頭部、顔の表情の特徴をさらに精緻に表現することに成功した。 ファン・デル・ウェイデンの、とくに女性を描いた初期の肖像画は、カンピンの女性肖像画に構想も構成も非常によく似ている。ほとんどの肖像画が斜め前を向いた上半身のみの構図で、モデルは何の特徴もない一様の光景を背景に描かれている。ファン・デル・ウェイデンが描く人物像は哀切感ただようものが多いが、各作品の女性の表情については共通の強い類似点がある。このことはファン・デル・ウェイデンが、それまでの伝統的な理想的絵画表現は認めていなかったが、当時の美意識に沿った理想化を求めることによって、描かれるモデルを満足させようとしていたことを意味する。ファン・デル・ウェイデンの肖像画のほとんどが上流階級からの制作依頼によるもので、依頼主の肖像を宗教絵画の一員として描く献納肖像画 (en:donor portrait) 以外の肖像画はわずかに5点しか伝わっていない。 ファン・デル・ウェイデンが1460年ごろに描いた『フィリップ・ド・クロイの肖像』は、実際のド・クロイの大きな鼻と突き出た顎を肖像画に表現しておらず、この年若いフランドル貴族におもねった作品といわれている。ファン・デル・ウェイデンのがモデルを理想化して表現しようとした意図における『フィリップ・ド・クロイの肖像』と『女性の肖像』との関連性について、美術史家ノルベルト・シュナイダーは「ヤン・ファン・エイクが事物を「ありのままに」描いたのに対し、ファン・デル・ウェイデンは物事の本質や人間を洗練、精緻化し、絵筆の力で事物の現実性を拡張しようとした」としている。『女性の肖像』の高い品質は、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する、『女性の肖像』と酷似したファン・デル・ウェイデン工房作の『婦人の肖像』との比較によって顕著となっている。ナショナル・ギャラリーの『婦人の肖像』は、より穏やかで曲線的な表現がなされており、ワシントンの『女性の肖像』よりも年若く没個性な女性が描かれている。技術的にもロンドンの作品は繊細さと精緻さに欠けている。とはいえ、どちらの作品も同じようなドレスを着たよく似た印象の女性が描かれていることは共通しているといえる。 ファン・デル・ウェイデンは、肖像単体ではなく、絵画全体が一体となって創りあげる美と感情表現により大きな関心を持っていた。美術史家、キュレータのローン・キャンベルは『女性の肖像』の高い評価は優美に描かれた女性ではなく、「女性自身がかもし出す優雅さと純真さの様式美」にあるとしている。ファン・デル・ウェイデンは伝統的な写実主義にとどまらず、独自の美意識に基づいて自身の肖像画と宗教画を発展させていったのである。ファン・デル・ウェイデンの人物肖像に共通する悲痛なまでの宗教的情熱も、自身のこの美意識によるものである。ファン・デル・ウェイデンが描く人物肖像は、それまでのネーデルラント絵画の人物肖像にくらべると、より自然で写実的なものになっている。しかしながらファン・デル・ウェイデン独特の、モデルが持つ信心深さを表現する手法が、ありのままの写実描写を忌避する結果になっていることも確かといえる。 ワシントンのナショナル・ギャラリー元館長ジョン・ウォーカーは、このようなファン・デル・ウェイデンの指向について「風変わり」であり、『女性の肖像』には個々の描写に不適当な箇所はあるが、それでも「妖しいまでに美しい」としている。『女性の肖像』を制作したころのファン・デル・ウェイデンの評価はヤン・ファン・エイクを凌いでいた。『女性の肖像』は、ヤン・ファン・エイクの作品の肉体描写を凌駕するような高い精神性を持った作品の典型であり、ファン・デル・ウェイデンの名声に大きく貢献している絵画といえる。
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