理想像の東方生存圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 00:59 UTC 版)
ヒトラーは1941年9月8日から9月10日にかけて、ヴォルフスシャンツェで東方生存圏の将来像を次のように語っている。 東ヨーロッパの領土はドイツ本国と異なった方法で統治する。 ロシア地域に住むドイツ国農民はすばらしい建築物からなる集団居住地に住む。総督官邸は荘厳な宮殿とする。 都市のまわりには30kmから50kmの環状地帯をつくり、美しい農村を配置する。それらは最上級の道路で結びつけられる。 ノルウェー人、スウェーデン人、デンマーク人、オランダ人は出来るだけ東欧地域に移住させ、ドイツ国の一構成部分とする必要がある。 ドイツ人に様々なゲルマン人との結婚を奨励し、同一血統による繁殖を防ぐ必要がある。ただしスイス人との結婚は認めない。 移住したゲルマン人はアジア内陸住民の侵入を防ぐ、生ける長城となる。 ロシア人はドイツ人と全く別の環境に住まわせ、文明を与えずドイツ人に無条件に服従させる。もし反乱が起きれば、爆弾を撃ち込んで街もろとも全滅させるべきだ。 被征服民の環境については1942年4月11日の談話で、より明確に語っている。それは徹底的な愚民化と人口削減、収奪を伴うものであった。 個人的自由を最大限に許可することで、いかなる国家組織も形成できないようにし、出来るだけ低い文化環境に陥るようにしむけ、出来るだけ多くの物資を経済的に搾取しなければならない。 教会は各村落ごとに一宗派が出来るようにしむけ、統一的な組織にまとめてはならない。アメリカ・インディアンのような魔術崇拝が起きても歓迎するべきだ。 この地域にドイツから教師が来てはならないし、学校教育を強制してもいけない。ロシア人・キルギス人・ウクライナ人が読み書きできることはわれわれの害になる。 衛生学の知識を与えると彼らの人口が増加するため禁止する。ドイツ人医師による治療も禁止する。 被征服民族に武器を与えるのは最大の不合理である。 また親衛隊が、1941年から1942年にかけて策定した東部総合計画(Generalplan Ost)は、ドイツ人の殖民と、ポーランド人・ロシア人・スラブ人らの移住や飢餓による減少の見積もりが想定されている。この計画では西ポーランドに集中的な植民を行い、その他の地域にはマルケンや基地とよばれる小地域に植民を行うこととされた。基地には兵力が備えられ、反乱が起きた際には出動することとなっていた。1942年5月22日にヒムラーはエストニア・ラトビア・東南ポーランドのドイツ化計画と、リトアニア全住民の移住計画策定を命令した。ただしヒトラーやヒムラーのドイツ化に関する基準には若干のズレがあり、完全に統一されたものではなかった。
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