現実世界での経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 02:48 UTC 版)
テライユキの3DCGモデルは、元々はくつぎが漫画家としての仕事の合間に、3Dグラフィックソフト・Shadeを使って趣味で作り上げたものである。くつぎは1996年に仕事のためにMacintoshを導入したのを期に、仕事とは別に以前より関心を持っていた3DCGに打ち込むようになったという。テライのCGは「日本人のかわいい女の子を」コンセプトとし、試行錯誤の末に自身の漫画『Libido』の「寺井有紀」をテンプレートにして作られた。くつぎはリアルなものとアニメ的なものの中間を目指したという。1998年に完成したテライがくつぎのホームページや、「ギャルコン」と呼ばれたShade作品の展示サイト「Shadeな人々」で発表されると、ネット上で大きな評判となる。当時既に3DCGで作られた女の子のキャラクターは他にも存在していたが、テライがそれらより優れていたのはCGの技術だけでなくキャラクターの見せ方も理解した漫画家の手によって作られたためと言われる。 くつぎは、テライのShadeの広告への起用と、ヤングジャンプのグラビアページへの掲載という野望を持っていたが、その2つの野望は1998年のうちに達成された。テライを「ギャルコン」で発表したのも、Shadeの関係者も見ているだろうとの思惑からで、その思惑通り発表後早くにエクス・ツールス(当時のShadeの開発元)から打診を受けることになる。ヤングジャンプのグラビアについては、くつぎの当時の担当に話を持ちかけたものの、前例の無いものであるためなかなかOKが出なかったが、プレゼンテーション代わりにヤングジャンプのグラビアページを模した画像をホームページで公開するなどの努力が実り、1998年の44号で掲載が実現した。 その後は、CGキャラクターのプロデュース、版権管理会社「フロッグエンターテイメント」にプロデュースを委託し、タレント的な活動を本格的に始める。「フロッグエンターテイメント」は、3DCG雑誌『CG WORLD』の当時の編集長永田豊志が、くつぎにテライの写真集の企画を持ちかけたのをきっかけに1999年5月に設立した会社である。永田はテライの評判を聞きつけ、くつぎに写真集の企画を持ちかけたが、くつぎは自分ひとりでは無理で、これまでもそういった話は断っていると答えたと言う。そこで永田は、原作者からCGキャラクターを預かり、制作、広報、商品化などを担当するという仕組みを着想するにいたり、新たに設立した「フロッグエンターテイメント」のプロデュースによってテライの商品展開が行われることとなった。テライの声優を選定して声を当てられるようにし、CGも動画対応のため「3DStudioMAX」向けに再構築された。このとき声を当てたのは、オーディションで選ばれた当時24歳東京都内在住の女性とされるが、名前などは明らかにされていない。1999年から2002年ごろにかけ、テライは企業のキャンペーンやテレビ番組、CMへの出演、写真集、CD、ミュージックビデオ、ゲームソフトなどさまざまな媒体で活躍を見せた。なお、写真集はロケ地で人間の女性モデルを撮影しそれを元にCGを重ね合わせるという方法で作られており、通常の写真集の倍ほどの費用がかかったという。テレビ番組の出演では支払われる制作費だけではテライを動かすために必要な費用をまかなうことは出来ず、あくまでPRの機会として考えられていた。 またテライの登場は、美少女CG制作のブームを生んだ。1998年の末に発売されたテライのShade用モデリングデータは翌年の末までに1万5千本以上を販売し、3DCGソフトのShadeも大きく売り上げを伸ばした。芸能活動が行われなくなってからもモデリングデータの販売は続けられている。
※この「現実世界での経歴」の解説は、「テライユキ」の解説の一部です。
「現実世界での経歴」を含む「テライユキ」の記事については、「テライユキ」の概要を参照ください。
- 現実世界での経歴のページへのリンク