現在はニューヨーク州運河システム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 17:37 UTC 版)
「エリー運河」の記事における「現在はニューヨーク州運河システム」の解説
1918年、エリー運河は規模の大きいニューヨーク州バージ運河にその役目を取って代わられた。新しい運河は当初の経路の多くを置き換えたので、放棄された部分もまた多く残された。顕著な例はシラキュースとロームの間である。このことで、当初の運河では供用を避けていたモホーク川、セネカ川、クライド川およびオナイダ湖などの水路も航行可能なようにすることが求められた。ロチェスターとバッファローの間のように供用できる河川が無い場合は、当初のエリー運河を幅120フィート (36 m)、深さ12フィート (3.6 m)に拡張した。排水量2,000米トン (1,800メトリックトン)の艀の航行を可能にしたこの金を掛けた工事は、運河の恩恵に浴さない州内の地域には不評となり、また陳腐化を食い止めることもできなかった。 コホーズとウォーターフォードの境界でハドソン川に関わる部分の付け替えが始まった。ここでは5つの閘門を使って北西に横切り、クレセントでモホーク川に注いでいた。古い運河はこの地域からロームまですべてモホーク川に平行して造られていたが、新しい運河は川そのものを使い、必要に応じて真っ直ぐにしたり幅を広げたりした。イリオンでは新しい運河は川を用いたが、ロームまで川と古い運河双方に併行する新しい経路が供用される形となった。ロームからは新しい経路がほぼ西に走り、オナイダ湖の入り口の直ぐ東でフィッシュ・クリークと交わることになった。 オナイダ湖の西では、新運河はオナイダ川に沿ったままであり、経路を短くした。スリー・リバーでは、オナイダ川が北西に転じ、オンタリオ湖に向かうオスウェゴ運河のために深さを深くした。新エリー運河はそこからセネカ川に沿って南に向かい、シラキュース近くで西に転じモンティズマ湿地まで続く。ここからカユガ=セネカ運河がセネカ川に沿って南に伸び、エリー運河はナイアガラ断崖の麓に沿って古い運河に平行に走る。幾つかの場所ではクライド川沿いに走り、また幾つかの場所では古い運河を改装して使っている。ロチェスターの南東、ピッツフォードで西に向かいロチェスターの中心街は避けてその南側を通過し、ノースゲイツ近くで古い経路に合流する。そこからは古い経路の改良版であり、西に向かってロックポートに至り、南西のトナワンダでは単純にナイアガラ川に注ぐことになる。 高速道路網、鉄道およびセントローレンス海路の成長により、エリー運河の輸送量は20世紀後半に激減した。1990年代以降、商業用途は残っているものの量は限られており、余暇利用が主流となった。エリー湖は1年のほとんど、小さな船やいくらか大きな船でも利用可能である。冬季は一部の水が抜かれ、修理と保守に当てられている。船の往来が頻繁な時期は5月から11月である。 1992年ニューヨーク州バージ運河は ニューヨーク州運河システムと名前を変え、ニューヨーク州高速道路局の下にニューヨーク州運河会社ができてその管轄下に置かれた。エリー運河とカユガ=セネカ運河、オスウェゴ運河およびシャンプレーン運河が含まれている。現在、エリー運河の総延長は524マイル (843 km)あり、シャンプレーン湖から首都圏および西のエリー湖を結んでいる。経路に沿った地域人口は270万人であり、ニューヨーク州北部の人口のうち75%がエリー運河から25マイル (40 km)の範囲内に住んでいる。2006年、余暇利用の船の通航料が廃止され、運河を利用する観光客の増加が期待されている。運河システムの維持費は高速道路網の徴収料金で賄われている。 2006年6月遅くと7月初めにニューヨーク州北部を襲った大洪水により、運河の中間部、特にモホーク川の航行は障害がある。洪水による運河システムとその設備に対する損害は少なくとも1,500万ドルと見積もられている。
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