現在の鰊場作業唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 10:03 UTC 版)
明治30年(1897年)には97万5千tの漁獲高を誇り、近代の北海道経済と西日本の農業を担ったニシンだが、昭和30年代を境にして漁獲量が激減する。その理由については「森林破壊」、「海流、海水温の変化」、「乱獲」など様々な説があるが、決定的な物はない。ニシン漁が廃れ、漁村が過疎の波に飲まれる中で鰊場作業唄が唄われる場も失われた。2000年代以降、北海道日本海沿岸ではニシンの漁獲量が回復しつつあるが、漁の機械化や雇用形態の変化を経た現在、ニシン漁の場で唄われることはない。 しかし、鰊場作業唄から生まれたソーラン節は北海道の代表的な民謡として全国的に流布しているほか、かつてニシンの「千石場所」として栄えた小樽市忍路や積丹町、さらに多くのヤン衆を輩出した青森県野辺地町などでは「郷土芸能」として鰊場作業唄が伝承されている。江差町姥神大神宮で毎年夏に執り行われる姥神大神宮渡御祭では、山車の曳き手が辻々で鰊場作業唄の網起こし音頭「切り声」を斉唱する。 さらに近年では鰊場作業唄をモチーフにした新たな楽曲が発表されている。作曲家の寺嶋陸也は、北海道東部・オホーツク海沿岸の紋別市に伝わる鰊場作業唄を元に「男声合唱のためのオホーツク・スケッチ」を作曲し、松下耕は日本海側、小樽市忍路の鰊場作業唄を元に混成合唱曲「日本の仕事唄」を作曲した。
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