現代ウクライナにおける議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:22 UTC 版)
「ホロドモール」の記事における「現代ウクライナにおける議論」の解説
飢餓による餓死者の総数やこの飢饉がジェノサイドを目的に起こされたものであるかどうかで現在も議論が続いている。詳細な犠牲者数についてはホロドモール#犠牲者数を参照。 この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物を飢餓輸出したことにあった。その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できない。 2007年、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ大統領は、飢饉をウクライナ人に対するジェノサイド(大量虐殺)であったと主張し、国際的な同意を募った。一方、ロシアは、飢饉の被害はウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定した。ウクライナ共産党のペトロ・シモネンコは飢饉は意図的なものではなかったとして、ユシチェンコ大統領は根拠もなく憎悪をかきたて、ロシアとウクライナの間に民族対立を作ろうとしていると批判した。ユシチェンコ大統領は、ホロコースト否認規制法のようなホロドモール否認規制法案を出す予定であると報じられ、2015年の脱共産主義法で制定された。 2008年、ホロドモール発生75年を記念して、キエフにウクライナ飢饉犠牲者追悼記念館が開設。2010年には国立化され、「ホロドモール犠牲者追悼国立博物館(ウクライナ語: Національний музей «Меморіал жертв Голодомору»)」と改称された。一方クリミア半島の特別市セヴァストポリでは2009年にセヴァストポリ・ホロドモール博物館が開館したが、間もなく展示写真数点が1920〜30年代に起こったヴォルガ地方飢饉や世界恐慌時にウクライナ国外で撮影されたものの流用であることが明かされ問題となった。なおセヴァストポリは2014年クリミア危機以降ロシアの実効支配下にある。 2010年4月27日、ユシチェンコの後任で親露派であるヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領は、「ホロドモールは、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、カザフスタンの4カ国でおきた。それはスターリンの全体主義体制の結果である。しかし、ホロドモールを一つの民族に対するジェノサイドと見なすことは間違っているし、不公平だ。」「これはソ連に含まれていた諸民族全てに共通する悲劇だったのです。」と述べ、スターリン政権の失策であることは認めつつも、ジェノサイドであるかは否定した。 2015年、脱共産主義法(ウクライナの共産主義者と国家社会主義者による全体主義体制に関する象徴の宣伝禁止法)が公布され、1917年から1991年までのウクライナにおけるソビエトによる犯罪を否認することが禁止され、ホロドモールがなかったとか、当時のソ連政府の責任を否認したりすることが規制対象となった。脱共産主義法はロシアによる2014年のクリミア危機をふまえて設定されたものともいわれ、欧州評議会ヴェネツィア委員会は同法の自由制限範囲が広範囲であることを批判したり、アムネスティなども言論の自由への侵害につながると批判した。ただし、同法はあくまで宣伝(プロパガンダ)に利用した場合に限定されているなどの指摘もある。
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