漢字テレタイプ(漢テレ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:04 UTC 版)
「電算写植」の記事における「漢字テレタイプ(漢テレ)」の解説
電算写植システムの前史として、漢字テレタイプ(通称「漢テレ」)と呼ばれるシステムがある。 1950年代以前、文書を遠隔通信する際は、モールス信号などの電信符号を機械で仮名に翻訳する「かな印刷電信」が使われていたが、同音異義語を漢字変換する際のミスが起こりがちだったことから、漢字仮名交じり文を高速に遠隔通信するためには主に伝書鳩が使われていた。 そんな中、1954年に読売新聞社と防衛庁によって、漢字仮名交じり文を電信で遠隔通信する「漢テレ」と呼ばれるシステムと、人間がキーボードで打字した文字を自動で活字として鋳造し自動で植字まで行う「全自動活字鋳植機」(モノタイプ)と呼ばれるシステムが試作される。1955年には、朝日新聞社と新興製作所によっても同様の物が試作されるなど、日本の大手新聞社において、漢字仮名交じり文の遠隔通信システムの研究と自動鋳植機の導入が同時に進められていた。 そして1958年、ついに新興製作所が「漢テレ」を実用化する。これは、漢字仮名交じり文を電信的にやり取りするための符号化コード、符号を紙テープ(鑽孔テープ)に記録する文字盤(キーボード)付きの鑽孔機「漢字テレタイプ」、紙テープを読み取って符号を送信する送信機、遠隔地で受信して紙テープに記録する受信機、紙テープを読み取って印字する「漢字テレプリンタ」(当時はディスプレイがまだ発明されていなかったので、プリンタで印字することで受信した文字を確認する)などからなるものであった。 1959年には、各新聞社の統一文字コードであるCO-59が策定されたこともあり、1960年代初頭には日本の新聞各社において漢テレによる自動活字鋳植システムが急速に普及した。これは記事の受信から活字の鋳植(鋳造・植字)までを自動化し、新聞社の本社や共同通信社などから配信された記事を、日本の各地域の新聞社が受信して漢テレで紙テープ(鑽孔テープ)に記録し、その紙テープの内容を自動活字鋳植機(モノタイプ)が読み取って全自動で鋳植まで行うシステムで、従来の文選や、人間が手作業で打字しながら活字を鋳植するのに比べても圧倒的な高速化が可能となった(自社取材記事の場合はテレタイプを使って自分で鑽孔しないといけない)。 この当時のシステムは、まだ金属活字であり、写植ではなかったが、統一文字コードCO-59、文字を紙テープに記録する鑽孔機、紙テープの内容を読み取る装置などは、初期の電算写植システムにも流用されることとなる。 一方、大手新聞社以外のほとんどの印刷所は、依然として人間の文選工が活字を一つ一つ手で拾って版を作る活版印刷を用いていた。このような状況の中、出版業界では1960年代前半から後半にかけて、写植の導入とコンピュータの導入がほぼ同時に進められ、まず写研が「SAPTONシステム」を実用化した。 なお漢テレおよび初期の電算写植で使われた「SCK-201形漢字鍵盤さん孔機」が1台だけ現存し、2010年に情報処理技術遺産に指定され保護されている。鑽孔機のキーボードは192個のキーと12個のシフトキーで構成され、合計192×12=2304字種を入力できる。一方、鑽孔テープの各文字に相当するコードは6穴2行で構成され、1行あたり26=64パターンのうち48パターンを使用するので、合計48×48=2304字種を記録できる。
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