没落、そして倒産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:12 UTC 版)
1970年代から1980年代初めにかけてコモドールは業界をリードする企業の1つと見なされていた。VIC-20やC64のころは積極的なマーケティングが行われたが、それらの成功はむしろ低価格にあった。が、トラミエル社長が失脚した頃から保守的な風土になり、ハードの価格も上昇し、かつての革新性は無くなっていった。広告を駆使した徹底的な販売攻勢をすることもなくなり、旧来の代理店で細々と販売される状態になっていた。 1980年代の終わり頃にはパソコン市場はIBM PCとMacintoshが占有するようになっていた。コモドールのAmigaはそれらに対抗できず、中途半端なマーケティングで、市場が支持しないCommodore CDTV(1991年)のような失敗ハードに固執したりしていた。 1990年代初め、コモドールは25 MHzのMC68030を搭載したAmiga 3000をすでに市場に投入していたにもかかわらず、7–14 MHzのMC68000を搭載した機種をまだ主力に据えて販売していた。一方PCの方では33 MHzのIntel 80486にハイカラーのGPUとハイクオリティなサウンドカードであるSoundBlasterを搭載した互換機が入手できたし、少々値は張るがより高い性能の製品を手に入れることもできた。1985年ごろのIBM PCはIntel 80286、EGA画質と初歩的なサウンドしか持ちえず、Amigaよりも格段に劣っていたものだが、今やAmigaにはその頃の革新性はなかった。 1992年にAmiga 500の後継機としてAmiga 600が発売された。しかし、テンキー、拡張スロット、SCSI、その他コスト削減のためにあらゆるものを削除したデザインは、Amiga 500と比べて明らかに退化していた。そのため、あまりの不人気のために1年たたずに販売中止となった。この頃より、映像や音楽の制作でAmigaを使っていた人々はIBM PCやMacintoshに流れ、ゲーム用途でAmigaを使っていたゲーマーは専用のゲーム機に流れて行くようになった。 1992年にAmiga 4000とAmiga 1200が発売され、AmigaはようやくIBM PCに肩を並べるところまで復帰した。これらの機種にはIBM PCやMacintoshと比べても遜色ないハイクオリティなマルチメディア性能を発揮する新開発のグラフィックス用チップセット (AGAチップセット) が搭載されていたが、しかしIBM PCとMacintoshの市場シェアはすでに手がつけられないほど拡大していた。ソフト開発者もAmigaを見限っていた。独自設計されたAmigaのチップセットはコモディディ化されたIBM PCのチップセットよりはるかにコストがかかり、コモドールの利益率を圧迫した。AGAチップセットは確かにAmigaのオリジナルのチップセットよりも高性能であったが、マルチメディア・コンピューティング市場の覇権を取りもどすというコモドールの目標は達成できなかった。 Amigaがソフト開発者から見限られた理由のひとつに違法コピーの蔓延を挙げるものがいるが、これは議論の余地がある。 1994年に社運をかけて発売された32ビットのCD-ROMベースのゲーム機、Amiga CD32は失敗に終わった。1990年代初めより、コモドールはサービスおよび修理をワング・ラボラトリーズに委託していた。1994年の時点でいまだ利益が出ているコモドールの支社はドイツとイギリスのみとなっていた。 1994年4月29日にコモドールは倒産し、同社の資産が清算された。ウェストチェスターのかつての本社ビルは、今ではQVCが本社として使っている。
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