没落と党追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:38 UTC 版)
「ゲオルギー・マレンコフ」の記事における「没落と党追放」の解説
その後はソ連国内を転々とし、カザフ・ソビエト社会主義共和国のウスチ・カメノゴルスクにあるダム水力発電所の指導者となった後、同じくカザフスタンの炭鉱都市エキバストスにあるエキバストス第一発電所の所長を務めたが、1961年11月にマレンコフはエキバストス市党委員会により党籍を剥奪され、共産党を追放される。1968年5月に引退し、年金生活に入った。 共産党追放後は権力の喪失と貧しい生活のためにうつ病に悩まされた。しかし後に自身の失脚を「クレムリンの過酷な権力闘争からの解放」と前向きに捉えるようになったという。モスクワ市内のアパートで年金を受けながら余生を送り、晩年にロシア正教に改宗した。80歳を過ぎてからはモスクワのイェロホヴォ大聖堂の教会合唱団に所属していた。また、マレンコフが晩年を過ごしたアパートの隣人は、同じく反党グループとして失脚し、党籍を剥奪されて年金生活に入ったラーザリ・カガノーヴィチであった。
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