没落と再生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 15:15 UTC 版)
1982年にルシールは死没した。本来の相続権はウォーレンの息子であるウォーレン・ライト・ジュニア(1920年生)にあったが、当人はルシールより早い1978年に死亡していた。このため、ウォーレン・ライト・ジュニアの娘ルシール・シンディ・ライトの配偶者で、義理の息子にあたるジョン・トーマス・ランディにその運営が引き継がれた。 ランディの運営のもと、1990年にカルメットファームはエクリプス賞最優秀生産者を受賞した。しかしその年の11月、牧場の主力種牡馬であったアリダーが不審な事故により死亡し、その保険金3600万ドルが牧場に振り込まれると、当時すでに運営が傾きつつあったカルメットファーム側の主導による保険金目当ての殺害が疑われた。決定的な証拠こそなかったが、この件により牧場の信用は激しく急落した。 その翌年、カルメットファームは債務不履行により、破産申請手続きを行った。のちの2000年にランディ、および牧場の顧問弁護士で財務担当であったゲイリー・マシューは詐欺と贈収賄の容疑で立件され、懲役刑が科せられた。 カルメットファームそのものは1992年、ケネロットステーブルを運営するポーランド系カナダ人であるヘンリク・デ・クフャトコフスキによって約1700万ドルで落札され、分割や解散そのものは防がれた。2003年にヘンリクが没したあとも同一族に保持され、Arianne de Kwiatkowskiによって所有・管理されていた。 2012年5月3日、Arianne de Kwiatkowskiは所有していたカルメットファームの権利を売却したと発表。売却先は実業家のブラッド・ケリーが所有するハリケーンホールファームおよびブルーグラスホールファーム。また、売却元の顧問弁護士はカルメットファームと2つの組織が統合され、所有馬約280頭は新たな牧場に移動することになるとしている。
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