決定までの紆余曲折とは? わかりやすく解説

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決定までの紆余曲折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 06:02 UTC 版)

日本任侠道 激突篇」の記事における「決定までの紆余曲折」の解説

1974年東映作品世論沸いた。その最たるものが「山口組三代目シリーズ」製作に於ける一連のトラブルで、1974年11月27日、『山口組三代目』が商品券取締法違反等という報道に対して東映本社記者会見があり、岡田茂東映社長事情説明をした後、合わせて山口組三代目激突篇』の製作中止正式に発表した12月にも入ろうかという時期に、1975年正月映画をそこから0から作れるわけはなく、本作は元々は『日本仁義』というタイトルで、『山口組三代目激突篇』よりも前から高倉健が製作を希望していた映画だった。『山口組三代目激突篇』で組まれていた豪華なキャストは、そのまま本作スライドした。『山口組三代目激突篇』が製作されていたら、高倉健田岡一雄を、渡瀬恒彦地道行雄待田京介吉川勇次続けて演じ予定だったものと見られる東映1966年から1970年代まで正月は、基本的に年末から一月中旬くらいまでを正月前半一月中旬から以降後半とし、各二週間づつ、正月前半後半としていたが、前半が勿論正月看板作品となるため、1974年秋の時点では、1975年正月前半に『日本仁義』、後半に『山口組三代目激突篇』を構想していた。一時期両方とも製作予定があった。 1974年9月30日にあった岡田東映社長業界記者団との懇談会で、岡田が「1975年正月映画最終決定至っていないが、高倉健の『日本仁義』でアメリカ製の『ザ・ヤクザ』を決定してみる考えでいる。それと『ドキュメント山口組』(製作されず)。オールアクションの東映勝負するつもりだ」と話し東映企画製作部長登石雋一も同じ9月映画誌のインタビューで「正月ジャンルとしては任侠ものジャンルで二週いきたい。それに空手アクションをつけていきたい考えております何をやるかについては、色々難し問題がありまして、今のところちょっと申し上げられないですけど、過去任侠路線でのヒット路線延長という形といえば大体ご推察がつくと思います」などと話し本作と『山口組三代目激突篇』をそれぞれ正月前半後半A面番組予定していると文献書かれている。 しかし1974年10月になって岡田社長が『日本仁義』を引っ込め菅原文太主演の『新仁義なき戦い』を正月前半A面番組変更した。登石は『新仁義なき戦い』は、1975年正月には間に合わない話していたが、これも1975年正月映画前半急遽繰り上げられた(新仁義なき戦い#製作決定に至るまで)。岡田社長が『日本仁義』を一旦引っ込めた理由は、高倉健は勝プロ撮った無宿』の撮影後いつもの放浪癖渡米し年内帰国しないといわれたこと、高倉ギャラ一本700万円で、一本300万円菅原文太の方が興行成績がよいなどの判断があり、岡田社長が『日本仁義』を一旦中止したことで、高倉東映自分を必要としないことを感じ今後三船敏郎のように外国映画中心に出演したい考えていたといわれる。そのため高倉は同じ1975年正月映画になったザ・ヤクザ』をヒットさせなければならなかった。 東映正月前半9年高倉務めていたが、この決定により菅原初め東映正月前半の顔を務めることになった1975年東映正月興行は、前半が『新仁義なき戦い』『直撃地獄拳 大逆転』(1974年12月28日1月14日)、後半が『山口組三代目シリーズ3作目山口組三代目激突篇』『ザ・カラテ3 電光石火』(1975年1月15日1月28日)の各二週間興行予定していたが、『山口組三代目激突篇』が製作中止になったことで『日本仁義』が『日本任侠道』とタイトル変え、"激突篇"というサブタイトルが『日本任侠道』に流用された。『日本任侠道 激突篇』とタイトル変え1974年12月9日クランクイン1974年12月クランクアップ1975年1月初旬完成1975年1月15日封切発表された。

※この「決定までの紆余曲折」の解説は、「日本任侠道 激突篇」の解説の一部です。
「決定までの紆余曲折」を含む「日本任侠道 激突篇」の記事については、「日本任侠道 激突篇」の概要を参照ください。

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