比治山駅→(2代目)上大河駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:51 UTC 版)
「上大河駅」の記事における「比治山駅→(2代目)上大河駅」の解説
2代目駅の前身となる比治山駅は1932年9月に芸備鉄道により「兵器支廠前停留場」として開業し、広島駅からの距離は2.4km、この時点の前駅の南段原駅、次駅の(初代)上大河駅とはそれぞれ0.6km、0.3kmの距離があった。その後1937年7月、この駅は芸備鉄道国有化に伴い近隣の比治山にちなみ比治山駅と改称されたが、第二次世界大戦中、ガソリン不足によりガソリンカーが運転休止となったため、1943年10月にいったん営業休止となった。 戦後、陸軍兵器補給廠(陸軍兵器支廠を改称)の廃止にともない、また原爆投下で壊滅していた広島県庁舎が1946年8月に同跡地に移転したのを始めとして、広島財務局・税務講習所広島支所・国家警察中国管区本部および広島県本部・広島地方警察学校・内務省中国四国土木出張所・広島労働基準局・広島地方経済安定局などの官公庁、広島県農業会などの民間団体が同地に移転・入居した。これにより休業していた比治山駅の営業再開の需要が高まり、先述の通り1947年3月、上大河駅と改称した上で新たに開業した。 戦後の駅の利用者は、先述の県庁・官公庁職員のほか、近隣に所在する学校(進徳女子高・県立皆実高・県立広島工業高・比治山女子高など)に通勤・通学する教職員・学生・生徒が大半であり、沿線の住民は市内中心部に直通するバス路線を利用していたため、宇品線の利用者は限定されており、また上大河駅以南の区間になると乗客も激減する状況であった。このため、1956年4月に広島県庁舎・広島県議会議事堂が現在地の基町(中区)に移転し、さらに上八丁堀に合同庁舎1号館が完成して官公庁が次々に霞地区から転出すると上大河駅の利用者数は減少に向かい、また1966年には駅の南に新広島バイパス(現在の国道2号線)が開通し宇品線との平面交差の弊害が予想されたこともあって、国鉄内部では最悪の赤字路線の一つに転落した宇品線の廃止論議が高まった。しかし公共機関の転出と入れ替わりに1957年2月には広島大学医学部・附属病院が同跡地に移転していたため通学者にとってこの駅の需要は大きく、また通学のための代替交通手段を確保する目処も立たなかったため、1966年12月には上大河〜宇品間の一般旅客業務を廃止して貨物専用線とし、広島・上大河間に平日4往復(休日2往復)の通勤通学定期客専用列車を運行させ、上大河駅で折り返し運転を行うこととなった。これにより上大河駅より先の駅は廃止となり、上大河駅(および前駅の南段原駅)の発着時刻も市販の時刻表には記載されなくなった。そして1972年4月、宇品線の旅客営業全面廃止に伴ってこの駅は廃止となった。
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