歴史的リッツ劇場
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「ゴールデンアイルズ」の記事における「歴史的リッツ劇場」の解説
元々のグランド・オペラハウスは3階建てヴィクトリア様式の建物であり、飾りレンガや石を使い、舞台劇のために建てられた。その後、ヴォードヴィルの劇場として機能していた。1920年代、映画が人気を呼び、オペラハウスは映画館に改装された。建物の外観をより近代的なアールデコ調にするために、1階部分のレンガはカラーラ・ガラスで覆われ、複雑な玄関庇と連鎖する看板が加えられた。こうしてグランド・オペラハウスはリッツ劇場となった。1956年、主にオグルソープ・ホテル(リッツ劇場の向かいにあった大きなホテル)で撮影された映画『ポンペイズヘッドからの眺め』が世界封切となった。映画スターのリチャード・イーガンが紹介した。 リッツ劇場(および概して1つの映画館)は1960年代から1970年代に衰退した。1981年ブランズウィック市がリッツ劇場を買収し、再度近代化され、かなりの修正が行われた。しかしリッツの表示はそのままにされた。劇場上の屋根が崩壊したこともあって、大掛かりな再建が行われた。その工事は1983年に完成した。 2008年、リッツ劇場は、アメリカ合衆国で唯一包括的に劇場を保存する組織であり、ジョージア州における歴史ある劇場の修復と再活性化の主要資源であるフォックス・シアター・インスティテュートに属することとなり、指導教育プログラム、修復の助言、運営のカウンセリング、教育機会を提供している。2010年、ゴールデンアイルズ芸術と人間性が修復援助資金を申請して認められ、ブランズウィック市と協力して、壊れかけ、落下の危険性があった当初の窓58個を修復した。 フォックス・シアター・インスティテュートの指導下に、地元の技能者ジェイムズ・テイラーとテイラー・デイビスが、保存技術協会とジェキル島再生チームと共同で、最初のガラスと、最初の木部の多くを使って窓を修復した。フォックス・シアター・インスティテュートと市は続いて建物の再塗装を支援した。1899年、グランド・オペラハウスは塗装の無いレンガで造られ、1920年代に現代的な感覚を出すために映画会社が白く塗っていた。その表面のペンキは長い間固着していたものであり、それを除去することで損傷するおそれがあったので、1980年代に修復したときは赤でレンガを塗った。地元の塗装業者ペニンシュラ・ペインティングが、同じ基本色スキームを使って外面を再生するために雇われた。この工事が2010年夏に完成したとき、ブランズウィック市民ジェニファー・ジョージが窓に新しいカーテンを付けた。 当初リッツの看板が修復を必要とする最後の外装になった。この看板は長年使われておらず、フォックス・シアター・インスティテュートが再度援助の手を差し伸べた。2011年5月、地元の会社であるフェンディング・サインズが修復の大工事を引き受け、塗装、配線のやり直し、レイ・タナーによる新しい文字のネオンの工事を行った。美しく仕上げられた看板は秋には戻され、2011年11月4日、ブランズウィック市中心街の第一金曜日の行事のときに、ゴールデンアイルズ芸術と人間性が除幕点灯式をおこなった。 リッツ劇場は「オールドタウン・ブランズウィック」のアメリカ合衆国国家歴史登録財地区の中にあり、1899年に建設されてグランド・オペラハウスを収容し、小売店が入り、ブランズウィック・アンド・バーミンガム鉄道総合事務所があった。今日ブランズウィック中心街の歴史的な劇場と芸術センターが、年間を通じて、演劇、映画、展示会、教育プログラムなどを行っている。ゴールデンアイルズ芸術と人間性協会によるプログラムと管理は、ブランズウィック市とグリン郡の芸術委員会と協調している。
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