武石典史の論考とは? わかりやすく解説

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武石典史の論考

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 01:24 UTC 版)

陸軍幼年学校」の記事における「武石典史の論考」の解説

武石典史は陸士17期(明治38年3月卒業)から陸士55期昭和16年7月卒業)について陸幼出身者(陸幼組)と中学校出身者中学組)の出身家庭調査し、 陸幼組は「近代セクター武官官公吏文官)・教員警察官会社員医師弁護士政治家など)」の占有率高く当時エリートの代表である高等学校生・帝大生をも上回っていた。 中学組は「農業セクター」の占有率が高い。 陸幼組の出身家庭多く占める「近代セクターの中で武官占め割合が常に高く、陸幼生徒の2割か3割武官の子息で占められていた。 という3点指摘している。 武石典史は、 父兄属す経済階層比較すると、陸幼組が中学組を上回っていた。 出身地出身中学校所在地)で比較すると、陸幼組は東京府出身者が最も多かったと見られるに対し中学組の出身地全国分散していた。 と述べている。 陸軍将校進級補職に対しては、陸士卒業成績陸大卒業成績決定的な影響及ぼしていたとされる陸士卒業成績では、上位下位に陸幼組が多くその中間に中学組が多いとされてきた。 武石典史は、陸士15期明治36年11月卒業)から陸士46期(昭和9年6月卒業)について陸士卒業序列調査し 陸幼組が上中位層に偏り見せる。 中学組が中下位層に偏り見せる。 成績上位層の大半を陸幼組が占める。 という3点指摘し下記のように述べている。 いずれにせよ集団としての陸幼組と中学組とでは,少尉任官という陸軍将校と して第一歩時点でスタートラインがかなり異なっていた。 — 武石典史、 武石典史は、陸士15期から陸士44期(昭和7年7月卒業)の陸大卒業者について、陸士卒業成績別に少尉任官から陸大入校するまでの平均所要年数」と「陸大優等卒業者恩賜組)の人数」を調査し陸士卒業成績上位であるほど、陸大卒業者比率が高い。 陸大卒業者実数輩出率の双方で、陸幼組が中学組を上回る陸大恩賜組(卒業席次上位6名)の輩出数では陸幼組が中学組を「2倍から3倍」と圧倒しており、首席次席三席の上3名に限ると、陸幼組68に対し中学組は10名とさらに差が広がる少尉任官から陸大入校までの所要年数検討すると、陸大入試において、陸幼組が中学組より優遇されていたとは認めがたい陸大受験するには所属長連隊長など)の推薦必要であり所属長推薦するのは陸士卒業成績上位の者であるのが自然であるため、陸士卒業成績上位であることが多い陸幼組が有利になったことはあろう。 という5点指摘している。 陸大に合格するには3年程度をかけての受験勉強が必要とされていた陸大受験資格有したのは「所属長推薦受けた陸士卒業して少尉任官後に隊附(部隊勤務2年以上の中尉少尉であったが、中尉少尉の期間に陸大受験勉強するためには、所属長便宜を図ってくれることが重要であり、かつ優秀な部下陸大入校することは所属長にとって喜ばしいことであった所属長から陸大入校期待された中尉少尉に対して連隊旗手(連隊本部での勤務となるため、余暇が多い)に選ぶこと。 陸士予科区隊長(余暇が多い)に派遣すること。 陸大入試日程上(4月師団所在地初審8月初審合格通知12月東京陸大再審合否決定)、受験勉強追い込み時期行われる秋季演習10月末から11月)への参加免除し、さらに11月半ばから休暇与えて上京させて勉強専念させること。 などが行われた。 陸士36期大正13年7月卒業)の塚本誠は、中央幼年学校予科東京地方幼年学校)を経て大正9年中央幼年学校本科同年陸士予科改称)に入校したが、下記のように述べている。 区隊長の多く余暇求めて陸軍大学校受験勉強をしていたが、…… — 塚本誠、 武石典史は、中央官衙陸軍省参謀本部教育総監部)の課長級以上に補職された者(陸士15期から陸士39期(昭和2年7月卒業))について、陸大卒業席次、陸幼組・中学組の別陸士卒業席次調査し、 陸幼組(217名)に対し中学組(68名)は約3分の1に留まる。 陸士陸大双方成績上位であるほど、三官衙課長に就任できる可能性高かった陸士成績上位であれば陸大卒の履歴有さない「無天組」でも中央官衙課長への道稀なではある局長への道開かれていた。 という3点指摘している。さらに、陸士優等卒業陸大優等卒業であれば90%が中将以上に至ったに対し陸大優等卒業のの場合は中将以上に至ったのは76%に留まり、明確な差が認められるという今西英造の見解紹介している。 武石典史は、帝国陸軍において陸士卒業成績陸大卒業成績進級補職大きく影響したため、陸士陸大双方において成績上位者多く輩出している陸幼組が、中学組と比較して、より高い階級至って長く現役に留まり、より重要なポスト補任される結果となったものである、と結論している。

※この「武石典史の論考」の解説は、「陸軍幼年学校」の解説の一部です。
「武石典史の論考」を含む「陸軍幼年学校」の記事については、「陸軍幼年学校」の概要を参照ください。

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