楕円ヨーロッパ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)
さらに、本来「地上の国」である帝国がキリスト教を国教としている事実についても新たな解釈を加えた。「神の国」を担う母体である「教会」と、対立する「地上の国」=「帝国」という二極状態を第一期と定め、これはコンスタンティウス・クロルスまでのローマ帝国とした。そして、キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世以降を第二期とし、二つが混ざり合ったひとつの「国」(第5巻序文)の時代に入り、教会は僧侶的な役割と君主的な役割の二つを持つ「混合状態の教会」という歴史段階に至ったという論(第7巻序文)を展開した。つまり、皇帝と教皇が神に与えられたそれぞれの使命を分担して担うようになったと主張した。この状態を、ふたつの焦点を持つ楕円に例え「楕円ヨーロッパ」という。 オットーは、楕円ヨーロッパの発展段階についても言及した。最初の段階はコンスタンティヌス1世から、カトリックに改宗したフランク王国初代国王のクローヴィス1世までの期間で、この時期にテオドシウス1世のキリスト教国教化など楕円ヨーロッパの原型が作られた。次の段階はクロヴィス1世以降ハインリヒ3世までの期間であり、この間一時的に皇帝権は東ローマにあったがカール大帝の下に戻され、楕円ヨーロッパが完成した。以後は教会と国家が協調し合い、世界の平穏が実現した。 しかし、ハインリヒ4世とグレゴリウス7世との間に叙任権闘争が起こると、平和な楕円ヨーロッパ体制が崩壊したとオットーは分析した。そしてこの出来事を「ダニエル書」第2章の記述に当てはめ、「石」が象徴する教会が「帝国」を仮託した巨像の足に当たる現象が叙任権闘争の勃発を指し、事態収拾のために結ばれたヴォルムス協約が、教会が巨大な山となった事を示すと述べた(第7巻-16)。 このようにオットーは、第四帝国を神聖ローマ帝国まで続く皇帝権の継承という形で普遍史の正当性を理論づけながら、叙任権闘争が「ダニエル書」預言の成就を意味するとして、終末が極めて近いという判断を下した。しかし彼の晩年、フリードリヒ1世が皇帝の権威回復を成し遂げた事を受け、最後の著作『皇帝フリードリッヒ伝』にて再び教会と帝国の協調関係が成り立ち、終末は延期されたと述べた。彼の楕円ヨーロッパ論は、後世の帝国・教会両方における支配権の理論的支柱という役割を担った。
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