松本のコトヨウカ行事とは? わかりやすく解説

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松本のコトヨウカ行事

名称: 松本のコトヨウカ行事
ふりがな まつもとのことようかぎょうじ
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 長野県松本市
選択年月日 2000.12.25(平成12.12.25)
都道府県(列記): 長野県
市区町村(列記): 松本市
代表都道府県 長野県
備考
解説文: 二月十二月両月八日は、コトヨウカ称され全国各地多様な習俗伝承されている。特に東日本においては、この日に厄神妖怪などの神霊来訪する考えられており、そうした神霊対すさまざまな行事が行われてる。長野県松本市では、二月八日コトヨウカあるいはオヨウカ呼びで馬や百足【むかで】、草鞋【わらじ】などのツクリモノをつくり、それらを呪物として村境掛けて厄病神去来防いだり、村境に送るなどの行事みられるまた、コトヨウカ一連の行事として、強い匂いの出るものを木戸先でいぶしたり、道祖神碑に餅を供えたり、地区の人たちが集まって念仏唱えることなども行われている。
 松本市においてはツクリモノを伴うこの種の行事は、市域東部にある両島りょうじま】、今井下新田【いまいしもしんでん】、薄【すすき】川の流域にある入山辺【いりやまべ】の厩所【まやどこ】・上手町【わでまち】・奈良尾【ならお】・舟付【ふなつき】・中村なかむら】、里山辺さとやまべ】の追倉【おつくら】の八つ地区伝承されている。このうち今井下新田と舟付の二地区は、現在、二月八日に近い日曜日行事行っている。これらの地区では、早朝、ヌカエブシといって厄病神が家に入ってないように、木戸先で唐辛子籾殻サイカチの実などをいぶす。また、朝のうちには、道祖神碑に餅を供えたり、塗りつけたりして無病息災豊作などを祈願する道祖神の口に餅を塗り付けることも行われ、それは来訪する厄病神道祖神集落内のことを話せないようにするためといわれている。その後は、地区ごとに若干差異はあるが、公民館やその年の当番の家に地区の人たちが持って集まりツクリモノをつくり始め、それが完成する念仏を行う。念仏は、ヨウカネンブツなどと呼ばれ円座になった人たちが、鉦を叩き大きな数珠つくった綱などを順繰り回しながら、「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えるのであるその後ツクリモノ村境掛けたり、送ったりする。
 両島では、二メートルほどの足半あしなか】を一対つくり、南北村境片方ずつ掛ける今井下新田では、八〇センチメートルほどの草鞋五つつくり、五か所の村境それぞれ掛けておく。厄病神はそれを見て、ここには巨人がいるものと思い集落内に入らないといわれている。
 厩所では、貧乏神見立てたジジババ呼ばれる男女一対人形でつくり、体長メートルほどの藁馬乗せ、「ビンボーガミ追い出せ、ビンボーガミ送り出せ」といいながら薄川河原まで運んで焼き払う上手町奈良尾でも、ジジババ人形乗せた大きな藁馬をつくり、集落内を曳き回した後、村境にある田の中で焼く。舟付や中村では、長い百足三つ編みにしてつくり、草鞋をはかせて厄病神見立てて村境に送る。舟付では、子どもたち百足の尾でヌカエブシの跡を払いながら集落内を曳いて歩き村境となる薄川の端で燃やし中村では、小学校最上級生が百足の上乗りそのほかの子どもたちが「ナンマイダ ナンマイダ」と念仏唱えながら村境まで曳いて行って道端送りだす。
 追倉では、で龍をつくり、数珠代わりにして念仏行ったのち、今度はその龍を綱にして綱引きを行う。綱引き男女分かれて行われ女性方が勝つとその年は五穀豊穣無病息災になるといわれている。綱引き終了後、龍は男性たちによって村境道祖神巻きつけられるまた、この日には粕汁をつくる地区多く、それを食べると風邪ひかないという。
 以上のように、本件は厄をもたらそうとする神霊対す人びと意識がよく表れている行事であり、東日本におけるコトヨウカ行事典型例一つ考えられるまた、ヌカエブシや念仏道祖神信仰などが行事の構成要素としてみられ、地域的特色も豊かである。



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