河原沢のオヒナゲエ
名称: | 河原沢のオヒナゲエ |
ふりがな: | かわらさわのおひなげえ |
種別1: | 風俗習慣 |
保護団体名: | 河原沢のおひなげえ保存会 |
選択年月日: | 1998.12.01(平成10.12.01) |
都道府県(列記): | 埼玉県 |
市区町村(列記): | 秩父郡小鹿野町大字河原沢 |
代表都道府県: | 埼玉県 |
備考: | 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています) |
解説文: | 河原沢のオヒナゲエ(お雛粥)は三月節供の行事として、一月遅れの四月三日に行われ、小学生と幼稚園児が参加する。以前は日向・日影・原の三コウチ(耕地。集落のこと)それぞれで行われており、小学生たちだけが参加していた。しかし、子どもが少なくなったので、昭和六十一年に合同で行うようになり、幼稚園児も加わるようになった。 三月三十一日ころ、子どもたちは赤平川の川原に集まって、円形に石を並べて簡単な囲いを作り、その一角に石で竈を築く。この日にオヒナゲエで食べる菓子を購入して、薪・花・菱餅を持ってくる者など当日の役割を決める。 四月三日の行事当日の午前九時ころ、子どもたちは自分用の箸と椀、それに米を持って川原に集まる。お雛様を南に向けて祭壇に飾り、分担して持ってきた菱餅と花を供える。大人に手伝ってもらって石の竈で粥とみそ汁を作る。できあがると、粥をお雛様に供えた後、上級生たちが盛りつけ、家々から持ち寄った漬け物などを分け合い、石垣のなかに敷いたゴザなどに座って食べる。その後、子どもたちは紙袋に入った菓子を分け、川原で追いかけっこや石投げをして遊ぶ。 かつては古くなった雛人形を川に流していたと伝えられている。また、いくつかの小集団に分かれて親しい子どもたちが集まり、支流の沢などに小さな竈を築いて粥を炊き、一日野外で遊んだものであるという。戦後、乙父の影響を受けて、石で簡単な囲いを作るようになった。 このオヒナゲエの行事は、小鹿野町西部の赤平川沿いの一七集落で行われていたが、現在は河原沢で行われるだけとなっている。同類の行事としては、志賀坂峠を挟んだ北側の群馬県上野村の乙父のおひながゆが残されているだけである。 河原沢のオヒナゲエは、子どもたちが野外で共同炊飯して遊ぶ野遊びの習俗を残した雛祭り行事と考えられ貴重である。 |
年中行事: | 木更津中島の梵天立て 松本のコトヨウカ行事 正月行事 河原沢のオヒナゲエ 津軽の七日堂祭 浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗 盆行事 |
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