浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗の意味・解説 

浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗

名称: 浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗
ふりがな うらさびしゃもんどうのはだかおしあいのしゅうぞく
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 越後浦佐裸押大祭委員会
選択年月日 2004.02.16(平成16.02.16)
都道府県(列記): 新潟県
市区町村(列記): 南魚沼市浦佐
代表都道府県 新潟県
備考 3月3日
解説文: 浦佐毘沙門堂裸押合は、新潟県南魚沼郡大和町【やまとまち】浦佐にある真言宗普光寺【ふこうじ】毘沙門堂の、毎年三月三日祭礼行われる行事である。この行事記録は『北越雪譜ほくえつせっぷ】』にも「浦佐の堂押」として見られる。それによれば正月三日行われる祭りで、一〇二〇四方々からも参詣人が集まり男女ともに毘沙門堂上がって押し合った記されている。この記録から、現在は男だけ参加する行事であるが、近世には女も参加していたことなどもうかがい知ることができる。行事は、明治五年(一八七二)までは正月三日行われていたが、翌六年(一八七三)から三月三日変わった伝えられている。
 この行事は、現在、浦佐九つ地区五箇三つ地区から一人ずつ選ばれる一二人の世話人と、寺の檀家総代などとで構成される越後浦佐裸押大祭委員会準備運営取り仕切り、この委員会の下で地元浦佐若者構成される浦佐多聞【たもん】青年団諸役務めて行われている。また、毘沙門堂にはローソク講と餅を上げる餅講があり、裸押合の際に灯されるローソクはこのローソク講によって奉納される。これらの講員などは、浦佐本町普光寺門前の各家を宿にして、着替えをしたり、休んだりするなどして行事参加するまた、一般参加者には大祭委員会用意した施設着替えをする場所として提供されている。
 三月二日前夜祭が行われ、三日大祭が行われる。三日は朝から護摩修行稚児行列などが行われた後、夕方毘沙門堂の床にネコ呼ばれる分厚い製の敷物敷いて準備が終わる。この後参加者順次水行をとり毘沙門堂参拝して外陣裸押合が始まる。押合には、ハンタコと呼ぶパンツをはき、腹には晒を巻いて参加する。この裸押が行われている最中に、数度にわたり信者により福物【ふくもつ】が奉納される。福物は奉納者が青年団肩車乗り提灯持ちローソク持ち警護役などを従えた行列作って奉納するもので、本来は奉納品そのもの持って納めていたが、現在では品名扇子書いて奉納している。奉納行列が着くたびに奉納品名を書いた木札が撒与者【さんよしゃ】によって内陣中央から撒かれ裸押し合い群衆がこれを奪い合う。この木札行事終了後品物交換することになっているまた、この間毘沙門堂の隣にある宝物殿屋根から何度提灯撒かれ、これも参拝者などが奪い合う
 裸押合の終わるころ、青年団人馬またがった年男行列入堂し、最後の撒与が行われる。この撒与がすむとササラスリの儀が行われ、本尊向いた年男向かい合って三、四人の音頭取が立ち、音頭歌を歌い出す。年男はそれに合わせてササラをすり始め、これを取り巻くように裸押合の参加者二重三重の輪になって足踏みしながら左回り回っていく。ササラスリが終わると年男胴上げが行われ、終わると年男ササラ本尊厨子中に納めて行事が終わる。
風俗習慣のほかの用語一覧
年中行事:  正月行事  河原沢のオヒナゲエ  津軽の七日堂祭  浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗  盆行事  等覚寺の松会  粟田部の蓬莱祀



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗」の関連用語

浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS