東京都のフィルム・コミッション設立 (2001年)
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「フィルム・コミッション」の記事における「東京都のフィルム・コミッション設立 (2001年)」の解説
かつて東京都知事であった石原慎太郎は、自身も映画監督の経験を有している。また、実弟で俳優の石原裕次郎も、石原プロモーションで『西部警察』シリーズに代表されるアクション映画・ドラマなどの制作を多数行っていた。そのため、石原慎太郎は、日本における映画ロケで発生する問題点を熟知していた。石原慎太郎は産経新聞が報道する15年以上も前に、自身の公式サイトで『ブラック・レイン』の大阪ロケで発生した問題点を明確に指摘している。 以下に石原慎太郎が指摘する、日本の映画撮影ロケが抱える根本的な課題を要約する。 アメリカと日本では映画制作に対する考え方が根本的に大きく異なる。アメリカでは、映画が産業として認知されている。これは、映画制作に対して官民共同の取り組みが行われていることと同義である。 ニューヨークでは、市長室に「フィルム・コミッション」が設置されている。これは、日本の自治体の映画協賛のような文化支援ではなく、映画の撮影による雇用確保と市の収入増加を目的としたものである。また、市長室にフィルム・コミッションが置かれていることにより、市長の強力な権限に基づき、市警など関係部局との調整を行うことが可能となる。アメリカでは、このような映画制作に対する自治体の支援体制が整っているため、撮影手続も簡素である。 しかし、日本では撮影許可を得るためには映画関係者が多くの所管を回る必要があり、さらに申請をどこで行えばいいのかも分かりにくい。同じ東京都所管の施設であっても都立公園の管理は各々の管理事務所、海上公園は埠頭公社、都庁舎は財務局などというように、個々の所管が異なっており、外部にはわかりにくい。 石原の主張は、アメリカでの実務経験を有する大林宣彦の生前の発言と概ね一致する。そして、石原は「(日本が)映画制作に対して無理解なため、日本を舞台とした作品が海外で話題になったという話を聞くことはほとんどない」と結論づけている。日本の行政の映画制作に関する無理解と制度的な欠陥が、現実のトラブルとなって噴出したのが、『ブラック・レイン』の大阪ロケだったのである。 このような課題を踏まえ、石原慎太郎は2000年11月、第13回東京国際映画祭の開会式において「銀座でカーチェイスを撮れるようにする」と述べた。大林宣彦によると、石原慎太郎は「東京がフィルム・コミッションに参加するなら、銀座を全封鎖してどんな戦闘シーンも撮らせる」と発言したという。 そして、石原都政時代の2001年4月20日に、大阪に続く形で東京都が所管するフィルム・コミッション「東京ロケーションボックス」が開設された。東京ロケーションボックスのロケ申請第1号は、リュック・ベッソン監督のフランス映画『WASABI』(2001年)であり、これまで東京都が許可しなかった場所が撮影場所として使用され、社会的に大きな話題を呼んだ。 ただし、石原慎太郎の想いが海外に十分に伝わっているとは未だにいえない部分がある。 一例として、アメリカ映画で日本を舞台にした作品『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(2006年)では、日本で撮影許可を得ることが困難であるとの前提の下に、東京都内などでゲリラ撮影を多数行った。監督の代役として逮捕される人物まで用意しており、実際に警視庁に拘束された。 そして、2021年現在も日本では撮影目的の道路封鎖のハードルが極めて高く、石原慎太郎が夢見た「銀座でのカーチェイス」は実現できていない。交通規制については、地方自治体レベルでは解決できない、国レベルの規制の問題が存在するためである。
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