朝鮮水軍の動向とは? わかりやすく解説

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朝鮮水軍の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)

文禄・慶長の役」の記事における「朝鮮水軍の動向」の解説

5月7日海岸移動行っていた日本輸送船団に対して李舜臣率い朝鮮水軍91艦隊攻撃海戦想定していなかった50隻の日本輸送船団昼夜戦で15艘が撃破される(玉浦の戦い)。 5月8日朝鮮水軍は赤珍浦にいる日本輸送船13隻を攻撃日本11隻は撃破される。 5月29日李舜臣率い朝鮮水軍日本輸送船団攻撃泗川海戦6月2日、唐浦の海戦6月5日第1次唐項浦海戦6月7日海戦7月7日海戦用の水軍朝鮮沿岸西進する作戦を持たなかった日本軍は、陸戦部隊後方輸送任務当たっていた部隊から急遽水軍編成して対抗した。しかし、脇坂安治抜け駆け主な原因となり1500人 の日本水軍が敗北する(閑山島海戦)。 長年倭寇対策船体破壊のための遠戦指向朝鮮水軍に対して船員制圧のための近戦指向日本水軍では装備戦術の差もあって、正面衝突海戦をすると日本水軍が不利であった7月7日閑山島海戦日本水軍が敗北する日本軍海戦の不利を悟って出撃戦術から水陸共同防御戦術方針変更した当初専ら輸送用だった日本水軍の船にも大鉄砲備え付けられ日本軍勢力範囲要所城砦倭城鉄炮塚と呼ばれる砲台)を築いて大筒大鉄砲備えて水陸併進して活動するようになったこの方転換有効に機能し以降李舜臣による日本側の泊地への攻撃は、釜山攻撃熊川攻撃など、朝鮮水軍被害多く出すばかりで成果が上がらなくなり朝鮮水軍出撃回数激減した日本軍巨済島にも城郭建設し、そこに豊臣秀勝軍勢を置き、日本水軍との連携深めさせた。当時の船は航海力も未熟で、陸上への依存強いた水陸共同防御戦術有効に機能した中でも釜山浦は、文禄の役開戦直後日本軍による占領以来日本肥前名護屋から壱岐・対馬経て釜山に至るルート日本軍海上交通路になっており、補給物資は一旦釜山荷揚げされた後、陸路内陸輸送されていた。云わば釜山日本軍にとり補給連絡上の根本となる拠点であった朝鮮水軍李舜臣は「釜山は賊(日本軍)の根本なり。進んで之を覆せば、賊(日本軍)は必ず據(拠)を失う。」として、9月1日朝鮮水軍総力挙げ釜山奪回目指したが、日本軍撃退され敗退し朝鮮水軍鹿島万戸鄭運戦死するなど損害多く出して撤退した釜山浦海戦)。。これまで連続的に出撃繰り返してきた朝鮮水軍は、この戦いを境に目立った活動停止する。ようやく活動再開するのは翌年2月熊川への攻撃である。李舜臣釜山前洋に現れたのはこの時が最初で最後となった。これにより釜山日本軍にとって安泰な場所となり、戦争の終結まで補給連絡上の根本拠点として機能し続けることになる。

※この「朝鮮水軍の動向」の解説は、「文禄・慶長の役」の解説の一部です。
「朝鮮水軍の動向」を含む「文禄・慶長の役」の記事については、「文禄・慶長の役」の概要を参照ください。

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