書き換えとその傾向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 08:16 UTC 版)
『グリム童話集』とそれまでのメルヒェン集との大きな違いは、後者がそれぞれの物語を大きく脚色して長い作品に仕立てていたのに対し、グリムのそれでは一つ一つが短く、比較的口承のままのかたちを保っていたことにあった。しかしそのために、文章が粗野である、話の内容や表現が子ども向きでない、あまりに飾り気がないといった批判を受け、以降の版ではこれらの点について改善が図られるようになった。具体的には、風景描写や心理描写、会話文が増やされ、また過度に残酷な描写や性的な部分が削除され、いくつかの収録作品は削除された。このような過程を経て『グリム童話集』は、庶民が「語り伝えたメルヒェン」から市民が「読むメルヒェン」になっていったのである。なお兄弟のうち初期の収集にあたっては主にヤーコプが仕事の中心を担っていたのだが、後の版のこのような改筆に当たったのは主にヴィルヘルムであり、メルヒェン集に学問的性格をもとめていたヤーコプのほうは次第にこの仕事から手を引くようになった。 ヴィルヘルムは加筆修正の際に、メルヒェン集の購入者である当時の都市富裕市民(独:Bürger)の道徳観に合わせて記述を修正したといわれている。特にヴィルヘルムは物語から、妊娠などの性的な事柄をほのめかす記述を神経質なまでに排除している。また近親相姦に関わる記述も削除や修正がなされている。このほか、「ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」など、子を虐待する実母が出てくる話が、購買者である母親への配慮から後の版で継母に変えられているものが相当数存在する。しかしこれらの書き換えに比べると、ヴィルヘルムは刑罰の場面などの残虐な描写については意外なほど寛容で、例えば「灰かぶり(シンデレラ)」の最後で継姉たちの目を鳩に突かせて盲目にするなど、初版にはない復讐の場面が入れられたり、話によっては後の版のほうが却って残虐性が増しているようなものもある。このために『グリム童話集』は子どもへの読み聞かせに適しているか、あるいはそのままの形で読み聞かせてよいのかどうか、といった点が、初版刊行時以来しばしば議論の的となっている。物語内の少女から積極性や能動性を奪ったという指摘がアメリカの学者からなされているが、最近の研究ではグリム兄弟による中世化の結果、性別役割分担で消費者にされてしまった消極的な近代の女性像ではなく、生産者であったたくましく積極的であった近代以前(近世・中世)の女性像も保持されている(例えば「灰かぶり」)ことが、日本の学者によって指摘されている。このほか人種差別的な偏見が見られることなどが指摘されているが、グリム兄弟により挿入されたというより、当時の人々の間で持たれていた偏見がそのまま伝えられたと解釈すべきであろう。
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